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牧島
【まきしま】


伊万里(いまり)市瀬戸町にある陸繋島。周囲約7km,玄武岩類溶岩よりなる。新田開発により陸続きになった。この島は古く楠久(くすく)島と呼ばれていたが,元和8年,佐賀藩主鍋島勝茂が江戸出府の際,この島が牧場として好適地であることを察し,同9年馬を放牧させた。これは失敗に終わったが,のちあらためて中野神右衛門を奉行に命じ20頭を放牧させ(松浦史),これにちなんで牧島と呼ぶようになった。文化9年の伊能忠敬の測量日記に「九月十二日……佐嘉領松浦郡……楠久村牧嶋測量,……牧嶋旧は離島なり,今新田出来候半は新田地続となる」と記している。島の東側低地一帯は,明治末期まで塩田として利用され,この製塩は,伊万里湾対岸の長浜(現在の伊万里市東山代町長浜)とともに佐賀藩の殖産政策のもとに開かれたものである。「西松浦郡誌」によれば,製陶のために苦塩(にがり)が必要であるが,肥前は食塩を筑前に依存し,不足気味であった。藩主はその自給を企図し,慶長13年黒田長政に請い,福岡藩の姪浜(めいはま)から武藤九郎兵衛・柴頭藤右衛門をはじめ数名の技術者を移住させた。彼らは山代郷長浜と木須の瀬戸を塩田の適地として選び,藩主は成富兵庫茂安にそこの築堤海面埋立てを計画させ,築堤工を竣工,慶長19年製塩を開始した。最初は塩質が悪かったが,漸次改良し,良塩を産するようになった。その後,藩は薪用の山林を与えたり,塩運送のための無判船を許すなどの保護奨励を加えたが,明治38年塩専売法が公布され,同44年従来の塩業は絶えた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218664