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松浦川
【まつうらがわ】


杵島(きしま)郡山内(やまうち)町・西松浦郡有田(ありた)町・同郡西有田町の境をなす黒髪山東麓一帯および鳥ノ海(とのみ)の諸山に端を発し,武雄(たけお)市西部,伊万里(いまり)市東部を多くの小河川を合わせながら北流し,東松浦郡相知(おうち)町で厳木(きゆうらぎ)川を合わせて唐津(からつ)市街地の東で唐津湾に注ぐ川。流域がすべて県内に属する川としては当県第2位。延長45.3km・流域面積156km(^2),1級河川。松浦川水系には,長さ5km以上の河川は本流を含めて13河川,5km未満の河川は61河川にのぼる。「東松浦郡誌」の松浦川の項に,「二等河ニ属ス 水源ハ郡ノ南方杵島郡黒髪山及鳥海ノ諸山ヨリ発シ,西松浦郡ノ東端ヲ串流シ,本郡佐里村ニ来リ湾流(わんりゆう)シテ久保村ニ至リ松浦東川ト合ス(合流ヨリ上ヲ松浦西川ト称ス)。松浦東川(厳木川)ハ水源ヲ郡ノ南方天山及ビ支峰ノ渓壑(けいがく)ヨリ発シ,尚五ケ山ノ渓流ヲ合セ広瀬・中島浦川内・厳木其他十余村ヲ経回シ,相知・山崎・久保三村ノ間ニ至リ松浦西川ト合シ両川一トナリ(合流ヨリ下ヲ単ニ松浦川ト称ス),乾位ニ通シ久里村ト橋本村トノ間ニ至リ,波多川(徳須恵川)ヲ合セ,北流シテ唐津町ト満島ノ間ニ入リ海ニ注グ。海口ハ幅五町余両岸遉遠タリト雖モ水勢常ニ六分ノ一ニ在リ,浅処徒歩シテ渉ル可シ。然レドモ舟筏ノ利本流(松浦西川)ハ西松浦郡大川野村ニ至ル。里程凡五里,東川ハ僅ニ相知村ノ半ニ至ルト雖モ(合流ヨリ凡三十丁)本郡南方ノ諸村専ラ両河ニ依リ以テ物貨ヲ運輸ス。其堤塘ハ河水緩流ニ属シ且ツ河幅ノ広キヲ以テ決壊ノ憂ナシ。但暴水満潮ニ激衝スル際,両岸ノ田圃ニ汎濫スト云フ」と記している。この川は「肥前国風土記」に栗(くり)川とあり,同書の松浦郡条の鏡の渡しで,弟日姫子が大伴狭手彦からもらった鏡を落としたのが栗川で,その地を鏡の渡しと名づけたと記している。かつてこの川は双水より夕日山の麓,柏崎の鼻先を通り,宇木(うき)川・半田(はだ)川を合わせ鏡山西麓の鏡神社の西側から虹の松原の中ほどで唐津湾に注いでいた。一方,波多川(徳須恵川)は橋本・養母田(やぶた)・和多田(わただ)の山際を通り,町田(ちようだ)川を合わせて満島(現在の唐津市,唐津城跡がある)の西を通って西の浜に出ていた。近世初頭,唐津藩主寺沢志摩守広高が松浦川の改修に着手。2つの川を河原橋(現合流点付近)地点で合流させ,河口まで堤塘を築いて現在の川筋とした。それと同時に洪水で被害を受けていた下流域一帯の干拓を行った。鬼塚(おにづか)や和多田の新開新田・大渡新田,鏡の塩屋新田・新開新田はその時造成されたものである(松浦拾風土記)。この川が伊万里市大川野地区を流れるところには,慶長16年佐賀藩士成富兵庫茂安の手になる井堰がある。また,同市大川町川西には寺沢志摩守が寛永10年構築した大黒(だいこく)井手(堰)がある。この川の中・下流地域の地形は低平で相知町付近で海食崖が見られる所がある。そのため,しばしば洪水に見舞われた。延享3年4月には大川野村の家屋16棟が流失し,久里村の堤塘を越す洪水があった。また,明和7年にも大洪水に見舞われた。これらの洪水は凶作をもたらし,流域農民の生活は困窮した。後者の洪水は虹の松原一揆の一因ともなった。この川の流域には唐津炭田がある。享保年間に北波多(きたはた)村大字岸山字ドウメキで農夫が偶然に石炭の露頭を発見したのが初めであると伝えられている(松浦史)。藩政期から幕府領と唐津藩領との2区に分かれ採掘された石炭は,松浦川とその関係支流の水運を利用して唐津に搬出された。そのため,松浦川とその主な支流は年2回川ざらえが行われ,石炭のほか米やその他の運送にも利用された。この川で最上流の河港は石坂土場(現在の伊万里市大川町石坂)で,大川野盆地の年貢米はここから底の浅い船で輸送されていた。船頭の操船で満島(唐津市)へ運搬し,帰りは魚の塩物,特に塩鯨を多く運んだ。これらは桃川(もものかわ)~高橋のコースで運ばれていた。立川(たつがわ)村の石炭もウマで運ばれ,土場から舟運で満島貯炭場へ輸送した。松浦川の支流厳木川では鷹取土場(現相知町緑山付近)まで川船が上り,付近の石炭を満島貯炭場へ輸送した。波多川では行合野(ゆきあいの)土場(現在の北波多村行合野)まで川船が上った。ここは地名が示すとおり,波多津道と伊万里道,波多川と行合野川の合流地点に位置する要衝の地で,藩政期は上流地区の年貢米などは,ここから川船により松浦川河口の城内米蔵へ運ばれた。これらの河港の下流部に多くの土場が設けられ,年貢米その他物資の輸送に利用された。とくに,幕末から明治期にかけ石炭の搬出が多かったころは,この川の石炭船の往来は激しかった。これらの土場は唐津線(1903),筑肥線(1935)が開通するまで活況を呈した。いま,この川下流の西部にある上場(うわば)台地の土地改良事業が国営で進められているが,この事業の一環として台地上に5か所のダム建設がなされている。しかし,このダムの水源が不足するので,松浦川からポンプによって揚水し,ダムによって調整し利用する計画が進められている。また,この川の水系にはすでに完成した伊岐左ダムや建設中の町田ダム・厳木ダム・本部ダムなどがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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