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的山大島
【あずちおおしま】


平戸島の北方,約15kmにある島。北松浦郡大島村に所属する。面積15.32km(^2),周囲38km。北は玄界灘に面し,壱岐(いき)・対馬を望み,南は度島,南西には生月(いきつき)島が位置する。地勢的には,全島玄武岩よりなる丘陵性山地であり,北に面した海岸線は柱状節理からなる断崖が続き,海食も進んでいる。島内では平ノ辻(216m)を最高地点として,標高200m内外の低山性の山地で占められているため,平坦地に乏しい。耕地は階段状で,15°以上の急傾斜地が耕地面積の約43%に相当するなど,頂上に達するまで土地利用が進んでいる。島の南西部には天然の良港である的山湾・神浦湾がある。北東部には大根坂湾が深く湾入しているが,湾口が北に開いているため,利用価値は比較的薄い。大根坂湾・的山湾・神浦湾の3港は歴史的には重要な港であった。古くは,7世紀から9世紀にかけて遣唐使の船が寄港し,その後室町期には倭寇の寄港地にもなった。現在も海賊ケ浦という地名が残っている。島の名称由来について,古いところでは伊藤常足「太宰管内志」下巻があげられる。近年,松浦党研究会連合会の機関誌などで,新しく発掘された史料を加え発表されている。文献によると,「この島を“あづき島”“あづきの大島”などと記述されているが,この島は,もともと,大島と呼んだ。ところが,“ち”“き”の発音の問題で,“あづち”が“あづき”に変わったという仮説がたてられている。又現在,あづきという発音や“小豆”という文字は伝えられていない。あづちは漢字で“的山”に充てられているが,“的山”にした理由は,延享2年の本山神社由来書に,いわゆる弓射するとき的を懸ける所=垜によると記述されている。この島が古来より,海上交通の要衝として,特に遣唐使船が五島列島を経由する一般に南路と呼ばれるコースがとられるようになった7世紀後半以降から,的山・大根坂の両港は仮停泊地あるいは中継地として利用されている跡があるが,このことを加味してみると,“あづち”という呼称には,船が安心して停泊できる土地という意味も含まれるのではないかと考えられるがどうであろうか」と記されている。近世には捕鯨が活発な時期もあったが,享保年間には廃れたといわれる。現在では,北松県立公園の一角として,自然を生かした観光事業に力を入れている。特にキャンプ場は,北部に天の原・馬込・大賀,西部に船越・馬の頭鼻・曲り,南部に大浦など7か所と県下の島々の中でも有数である。これらのキャンプ場付近の海食崖下は絶好の釣場を提供している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219261