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壱岐島
【いきのしま】


博多港(福岡県)から北西76km,呼子港(佐賀県)から26kmに位置する島。対馬海峡・壱岐水道・玄界灘に面し,壱岐郡郷ノ浦町・勝本町・芦辺町・石田町の4町からなる。面積135.865km(^2)。属島には名烏島・若宮島・辰ノ島・手長島・大島・長島・原島・机島・妻ケ島など大小26の島を数える。古くから日本本土から朝鮮半島・大陸への中継地,海上交通の要地,大陸文化の伝来のかけ橋として栄えてきた。この島は壱岐国として島(国)分寺や安国寺,式内社24社が存在し,壱岐郡と石田郡の2郡からなっていた。地勢的にみれば,基盤岩には新第三紀の勝本層が北部の小地域にみられ,この層は砂岩・頁岩および凝灰岩からなる。壱岐層は八幡半島,島の中央部および南部の久喜付近にみられ凝灰角礫岩・凝灰岩・砂岩・泥岩および礫岩からなる。それらの上に第四紀層の玄武岩が覆っている。地形は一般に台地状で,起伏が少なく高層100mを超す面積はきわめて小さく,最高峰の岳ノ辻でも212.9mである。分水嶺は西に片寄り,島最大の流域面積をもつ南部の幡鉾川や北部の谷江川など主な河川が東流する。島の中央を横断する低地帯は現在は水田となっているが,古くは壱岐島を二分した境界ともいう。玄武岩台地上には「在」と呼ばれる農家が散村形態を示す。これらを触集落と呼び,100触を数える。南向きの各農家はそれぞれ北に背戸山と呼ぶ防風林を構えている。南には野菜をつくる前畑があり,湧水を生活水としてきた。外海に面する海岸は海食崖や岩石海岸となり釣場に適している。南東部の海岸は筒城浜のように白砂青松で壱岐対馬国定公園第2種特別地域となっている。海岸線は出入りに富み,それぞれの入江や湾内の台地崖下には漁家や商家が密集して浦集落を形成し,壱岐八ケ浦と称されてきた。郷ノ浦・勝本浦・芦辺浦・瀬戸浦・印通寺浦・湯ノ本浦・渡良浦・八幡浦は朝市や定期市もみられる大きな集村である。湯ノ本湾や半城湾・内海湾などの入江状の内海は波静かで真珠養殖などの養殖業に適している。西部の湯ノ本浦の近くからはステゴドン象の化石が発見され,東部の八幡半島先端の珪藻土層からは珪藻・昆虫・植物・魚の化石などが出土する。昭和59年現在,人口4万881人(人口密度293.5人)で,第1次産業従事者が49.6%(うち農業33.3%,水産業14.3%)を占めている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219373