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大村扇状地
【おおむらせんじょうち】


大村市の中心部を占める扇状地。典型的な沖積扇状地で,大村平野の大部分を占める。多良山系に源を発する郡川によって形成された。市街地の東部坂口町付近を扇頂として半径約4km,傾斜3°未満の扇状地で直接大村湾に接する。安山岩の円礫が砂や粘土を交えて礫層を構成する。富の原の水源用井戸の掘穿によれば,礫層の厚さは70~80m,面積およそ1,400haである。礫層の形成過程は2期に分けて考えられている。扇状地の大部分を形成した1次堆積期と,それ以後の2次堆積期である。前者は郡川が浸食谷の延長方向(北東―南西)を流れ,もっぱら堆積作用を続けて約1,030haの扇状地を形成した時期である。後者は郡川が北西に流向を変え,扇状地の側方を浸食して寄生的に約390haの新しい扇状地(沖田三角州)を形成した時期で,なお進行中である。後期堆積面は水利に恵まれ,主に水田となっている。開発の歴史も古く条里遺構の存在が指摘されている。前期扇状地面の開発は元和2年ころからで,隠遁者による消極的なものであった。本格的開発が進められるのは寛文4年千葉卜沈の手になるもので,扇央部の並松に25町歩の土地を開き,家士を住まわせたことに始まる。この集落は路村形態をもつものであった。扇状地面の古い屋敷地や畑地では扇状地堆積物の円礫を利用した石垣や境界などがみられる。明治以降利用が衰退した時期もみられたが,明治30年歩兵46連隊が設置されて以来,扇面の多くが軍用地とされた。すなわち,大正12年には扇端部の今津海岸寄りに大村海軍航空隊,昭和16年に第21海軍航空廠が置かれた。現在では,これらの多くが陸上自衛隊,海上自衛隊の基地として再利用されている。土地利用をみると扇央部を南北に通る国道34号に沿っては宅地化が著しい。また,郡川沿岸部および河口付近の新期扇状地面には水田がみられるが,その他は畑地となっており,黒田五寸人参に代表される根菜類栽培や果樹園芸が盛んである。近年は,航空便を利用する交通型園芸も発展しつつある。扇端部では湧水・伏流水を利用する工場進出にも特色がみられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7219941