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樺島
【かばしま】


西彼杵(にしそのぎ)郡野母崎町脇岬の南方300mにある島。面積2.21km(^2),周囲7.5km。地質は古生代の西彼杵変成岩類で,島の南部に花崗岩,南西部に輝緑岩の露頭がある。地形は南の行者山121mが最高所で,北部には南北の長さ650m,幅50mの断層谷が沈水した入江がある。この入江は中世以来の帆船時代に風待港として繁栄した。正保4年の肥前一国絵図には「樺島五十三石,潮時ニ拘ラズ船入リ,船カカリ自由,何風ニテモ苦シカラズ,五端帆ヨリ十五端帆マデ,五十艘程カカル」とある。明治末期からの機帆船,汽船の出現で風待ち港から漁村へ転換し,現在第2種漁港。昭和58年には巻網1統,大型一本釣り3隻,中小型一本釣り約50隻がおり,集落は港を囲んで立地する。湾奥の谷には大正12年国指定天然記念物のオオウナギが棲息する。島の南端には昭和7年初点の灯台がある。昭和61年架橋の樺島大橋で離島ではなくなり,長崎までバスが運行するようになった。「深堀文書」によると康安元年,対岸の肥御崎寺の荘園から深堀氏に譲られ,戦国期に入ると島原半島の有馬氏の所領となる。永禄10年にはキリスト教の布教が行われ,元亀2年には教会2つがあった。慶長19年有馬氏の転封で,元和3年松倉氏の所領となる。島原の乱で松倉氏改易,寛永15年高力氏の所領となるが,寛文8年高力氏も改易されて天領となり,長崎代官の管地となる。明治15年には娼妓39人,貸座敷9戸があり,近在では島原湊,口之津港に次ぐ数で,樺島港の繁栄がわかる。以後娼妓の数も漸減し港勢も衰えていく。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7220187