100辞書・辞典一括検索

JLogos

26

外海
【そとめ】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の広域地名。肥前国彼杵(そのぎ)郡のうち。大村藩の農村支配のために設けられた4つの地区の1つ。西彼杵半島の外側および大島・嘉喜浦・松島・江島・平島の5島をさす。元和3年の朱印状によれば,面高(おもだか)・天久保・大田和・中浦・多比良・瀬戸・雪浦・神浦(こうのうら)・黒崎・三重・陌苅(あぜかり)・式見・福田・大島・嘉喜浦・松島・江島・平島の18か村からなり,合計朱印高は2,754石余。ただし,その後分村が行われ,天久保村が黒口村を,多比良村が七ツ釜浦村を,大島村が黒瀬村を,嘉喜浦村が崎戸浦村を分村し,22か村となった。大村藩内4地区の中では最も多く村数をかかえるものの,耕作地が乏しく,生産力の最も低い地域である。「大村郷村記」によると,安政3年の竈数7,179・人口3万8,452。宗旨別人数の内訳は浄土宗298・日蓮宗885・真言宗45・浄土真宗3万7,224。大村藩形成期に大村湾沿いの藩領に日蓮宗を,その他の地域に浄土真宗を布教するという宗教政策がとられたために,この一帯は典型的な浄土真宗地帯であり,実に幕末の人口の96%が浄土真宗の檀徒である。深沢儀太夫により江戸期に始まった捕鯨業の基地・集積地が嘉喜浦村・松島村・平島村・江島村にそれぞれ設けられた。西彼杵半島の内でも大村湾沿いとは反対側に当たるこの一帯は,陸の孤島といわれるほどに陸上交通の便が極めて悪いところであった。専ら西彼杵半島を山越えした後は,波静かな大村湾の水運が用いられた。現在の長崎市の一部および西彼杵外海町・大瀬戸町・西海町・大島町・崎戸町にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221402