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中島川
【なかしまがわ】


長崎市内を流れる2級河川。長崎市本河内町の山間部に発し,長崎市街地をほぼ西流して長崎湾に流入する。流域面積19.10km(^2)・実測延長4.928km。上流は御手水(おちようず)川・本河内川で,上流域の本河内町地内には本河内高部水源池・同低部水源池が設けられ,本河内上水場がある。中・下流部では矢の平川・鳴滝川・若宮川などの小流が流入,最大の支流西山川は長崎市西山町4丁目で北東方向から流入する。若宮川と銭屋川の合流点には,江戸期ここを浄水源とする倉田水樋が設けられていた。延宝元年の設置で,左岸の八幡町から銅座町,右岸の大井手町から築町まで配水幹線が設けられていた。大小船舶の寄港や居住民の増加により,井戸の水涸れが見られるようになったためである。長崎市街地は古く深江浦と呼ばれた入江であった。この入江は氾濫した場合には北西深く瓊杵山・三丘の下まで達したという。南北は1里許で極めて深く,永禄年間に当地を訪れた明人がその景色を見て互いに相合抱周擁したところから周抱海と称したといい,林道春が神応港と呼んだとも伝える(長崎名勝図絵)。それが,中世末から近世にかけて,南蛮貿易港として発展するに伴い,埋立てで市街地が造成され,その過程で中央部に残された水路が中島川である。そのため,集中豪雨のたびに中島川は氾濫,深江浦当時の状況が再現することとなった史上主な大水害としては,正保4年・正徳3年・享保6年・寛政4年・同7年・同8年・文化7年などの記録が残されている。近代になって大きな水害はなかったが,昭和57年7月23日の長崎大水害は,過去に例を見ない人的・物的大被害をもたらし,長崎市街地の開発,中島川の河川改修の有り方に大きな問題を投げかけるものとなった。中島川が市街地を通過する間には,寛永11年唐僧黙子如定の架けた唐風石橋など,多くの石橋がある。そのうち有名な眼鏡橋は国重文,極楽橋とも称する阿弥陀橋・高麗橋・大井手橋・編笠橋・古町橋・一覧橋・芊原橋・東新橋・袋橋,それに桃渓橋を加えた10橋は文化財。これらの石橋群は長崎大水害ですべて流失あるいは破損したが,眼鏡橋は翌58年復旧した。なお,昭和48年以来,毎年5月の連休と8月最終日曜日には,河畔で「中島川まつり」が開催されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221955