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針尾島
【はりおじま】


佐世保市南部に位置する島。北東に早岐瀬戸,南西に針尾瀬戸があり,架橋により佐世保市本土,西彼杵(にしそのぎ)半島と通じる。佐世保市に属し,有福町・指方町・江上町・針尾北町・針尾西町・針尾中町・針尾東町の7町からなる。第三紀層の砂岩上に玄武岩が広がる台地状の島。標高は100m内外で,最高地点は209mの上松岳。産業は,ミカン・スイカ・稲の栽培,和牛飼育,真珠養殖,イワシ・タイ・エビ・ナマコなどの沿岸漁業が中心である。遅くとも戦国期から指方氏,さらには針尾氏と呼ばれる豪族が支配していたが,天正14年に松浦家と大村家の領域協定が成立して以後,松浦家の所領となった。江戸初期には島全体を指方村と呼んでいたが,承応2年,崎針尾村と江上村の2村に分村,明治維新後,2村とも長崎県東彼杵郡の所属となり,昭和30年,佐世保市に編入された。同年,針尾瀬戸に固定アーチ式の西海橋が架けられ,観光地として,また,県北・県南を結ぶ交通要路として,新たな発展をしてゆくことになる。中央部の葉山には,針尾島出身の平戸藩士で,幕末期~明治期の儒学者楠本端山,その弟碩水の旧宅がある。また,第2次大戦で海軍に使用された所も多く,針尾中町にある3本の巨大な塔は,大正12年に旧海軍が建てた高さ137m・周囲33mの送信塔である。現在針尾工業団地予定地とされている地区は,昭和18年開設の旧針尾海兵団跡で,終戦時には,島西部の浦頭海岸に上陸した引揚者約138万人の一時休息所として利用されていた所である。針尾瀬戸は,急潮と西海橋で知られ,付近には水族館・遊園地・みやげ店・ホテルなどの施設も整い,春・秋の行楽期には多くの観光客でにぎわう。早岐瀬戸には観潮橋(昭和28年完成),針尾橋(昭和47年完成),新針尾橋(昭和59年完成)が架かり,佐世保市崎岡町付近から新針尾橋に通じる針尾バイパスも建設中である。さらに有福町を中心に,ニュータウンの建設も進みつつあり,早岐地区整備計画の一環としての発展が期待されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222379