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平戸島
【ひらどじま】


県の北西部にある島。平戸市に所属する。面積165.8km(^2)。本土の北松浦郡田平町側とは,約570mの狭い平戸瀬戸で隔てられている。南北32km,東西最大幅10kmの北東から南西に延びた,細長く横たわるタツノオトシゴに似た島である。西海国立公園の北の玄関口にあたり,歴史とロマンの島として全国に知られる県下でも屈指の観光地である。約1,000年前,平戸は「ヒラ」と呼ばれ,「比良」「庇羅」「飛鸞」と記されていた。地勢的には,まず,北松浦半島西部と同様に,古第三系を基盤とし,それを貫いて流出した安山岩とさらに九州地方北西部に噴出した玄武岩質の火山岩類がテーブル状にかぶさっている。したがって,海岸に沿った低地や,谷に深く刻まれた低地には第三紀層が現れるが,高地のほとんど全面にわたり,玄武岩類で覆われている。また地形的にみても,平坦地に乏しく,島内いたるところに山岳丘陵がみられ,島の方向に沿っておおむね二列に並走する山系の間にわずかな平地が点在している。主なる山地を北方より挙げると,西側には,小富士(216.7m),島内最高峰で西海国立公園第1種特別地域の指定を受けている安満岳(514.3m),有僧都岳(350.7m),佐志岳(347.0m),屏風(びようぶ)岳(394.4m),志々伎山(347.2m)などがあり,東側には白岳(250.3m),川内峠(267m),上床草原(405.7m),鴛の岳(206.8m),慈眼岳(371.9m),白岩岳(272.9m),浜岳(234.9m)などが走っており,なかでも,安満岳・上床草原のように山頂に玄武岩をかぶってなだらかな起伏をなしているメサ型の山と,志々伎山をもって代表される,噴出した古期安山岩が高度の浸食を受けてできた,典型的な浸食火山地形があり,頂部がいずれも尖鋭にとがって珍しい景観を呈している。また,安満岳・白岳・志々伎山は,ともに霊山として知られ,信仰の山となっている。一方河川は地形との関係上,一般に流域が狭く,しかも水量も乏しく,飲料水ならびに工業用として利用されている河川以外はほとんど農業用水の供給に利用されている程度である。島内の主要河川としては,安満岳に水源をもつ神曽根川(流路延長6.05km・流域面積9.00km(^2))と有僧都岳・慈眼岳に水源をもつ中津良川(流路延長5.5km・流域面積8.6km(^2))の2河川がある。一方,島内各地に点在している大小113にも及ぶ溜池および地下湧水は主として農業用水として利用されている。これらのなかでも,飲料水として利用されている溜池は樋渡溜池と宮溜池などである。海岸線は出入りが激しく屈曲に富み,至る所に半島・岬などを形成しており,その延長は185kmに達している。港湾としては,島の東側に北より田助港,平戸港,川内港,木ケ津港,前津吉港などの良港があり,西側には,北から薄香湾,古江湾,獅子港,根獅子港,志々伎湾がある。西側の外洋に面した海岸は至る所に海食崖が発達しており,通称ダキと呼ばれる切り立った断崖絶壁を形成しているため港湾としての条件に欠けた面がある。土地利用状況は,山地と原野で島の40%を占め,耕地率は水田10.9%,畑8.1%の計19%となっている。一方,歴史的にも「平たい門戸」の意味もあり,海外との玄関口を表した地名ともいわれるように,最も近い大陸との交通の要衝の地の1つとして,古くから重要な役割を果たしてきた。史実にある遣隋使・遣唐使あるいは,遣新羅使もこの平戸を寄港地としたと伝えられている。平安期以降になると松浦一族の武士団として活躍した松浦党を挙げることができる。室町末期には,八幡船が横行するようになったが,その中心となったのも平戸である。その後,天文19年に1隻のポルトガル船が平戸に入港したのが,南蛮文化との出会いであり,それ以後,相次いで西洋の船が平戸を訪れ,西洋文化がこの平戸を通して全国に広まったといえる。また平戸にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルも天文19年に来島している。これを機会に島内はもちろん,周辺の島々にも布教されたという。しかし,ザビエル布教から37年後の天正15年にバテレン追放令が出され,さらに慶長19年の家康の禁教令によりキリシタン弾圧の嵐が吹く。このような中でも隠れて信仰をもつ人々がいた。キリシタンの里といわれるのもこのためである。一方天正12年にイスパニアの船が入港し,さらに慶長14年にオランダの船が入港している。イギリスは遅れて慶長18年に入港している。当時,平戸は西洋文化の窓口として繁栄した。当時の歴史を知る上で重要な文化財が残っている。そのなかには,国重文の幸橋やオランダ塀などがある。これらの文化財と,変化に富んだ自然美を含め,島の24%に当たる地域が昭和30年に西海国立公園の指定を受けた。昭和52年には,島民の念願であった平戸大橋が完成し,特に観光事業が一段と脚光を浴び,観光客の来島も毎年増加の一途をたどり,地元経済の浮揚に大いに役立っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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