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三浦湾
【みうらわん】


対馬の東部,下県(しもあがた)郡美津島町にある湾。東の対馬海峡から湾入する。沖に黒島が横たわって障壁となり,それに3つの島が連なって内海を形成したもので,一名東浅茅(ひがしあそう)とも称された。湾内に大小の入江があり,鴨居瀬・小船越・畠浦・犬吠・久須保・緒方などの集落がある。湾口南岸の折瀬鼻から北奥の小船越まで5km余,西の万関瀬戸まで約4km。万関は明治33年に掘切った人工の瀬戸で,一名久須保水道ともいう。小船越は細い地峡の鞍部を越えて内浅茅(うちあそう)へ通じた旧跡で,中世史料によく見える。阿麻氐留神社と称する式内名社と,梅林寺と号する古刹があり,船越の名は「李朝実録」や「海東諸国紀」にも見える。鴨居瀬は古文書には「かもせ」または鴨瀬とあり,湾の旧名を鴨瀬浦ともいった。これを「津島紀事」が鴨居瀬と作り,神話の「沖津島鴨著島にわがいねし,いもは忘れじ夜のことごとに」(古事記)とある歌所に擬しているが,土俗としては「かもいぜ」でなく「かもぜ」である。湾岸には弥生時代から古墳時代の遺跡があるが,浅茅湾岸ほどの密度はなく,中世の「海東諸国紀」の戸数も船越の100余戸以外は鴨瀬の30余戸,久須保の20余戸,緒方の20余戸と小数で,犬吠は見えない。小船越は朝鮮通交の船舶に文引と称する渡航証明を発給した所で,梅林寺の僧が事務を行った。黒島は対馬海峡に長く突出し,先端の高い鼻が東海岸の目標となり光波の長い灯台があるが,この島には古い海神(磯良)が祀られていた。南の折瀬鼻には明治30年代に砲台が据えられ背後の姫神山砲台とともに湾を守る形になっていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222956