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阿蘇谷
【あそだに】


阿蘇カルデラの北半を占める火口原,面積67km(^2)。阿蘇郡の一の宮町・阿蘇町・長陽村の各一部を含み,約3万6,000人が居住(昭和60年)。火口原内の生活空間を阿蘇地方では谷内(たにうち)と呼び,阿蘇外輪山外側の地域である小国,山東部と区別している。谷内は,中央火口丘によって阿蘇谷と南半の南郷谷が分離され,双方の交流は地形的に大きく制約されている。全体として中央火口丘のすそ野から北方の外輪山内壁に向かって緩やかに傾斜する扇状地状の低地が広がり,白川の支流黒川が外輪山内壁の崖錐に沿って西流,立野火口瀬の戸下(長陽村河陽)で白川と合流する。火口原の標高は,東端の北坂梨(一の宮町)で510m,西端の赤水(阿蘇町)で470m。南郷谷に比べ高度差はきわめてわずかで,水田の多くが排水性の悪い重粘な土壌からなり,下部に泥炭層を含む所が少なくない。水に恵まれない火山斜面と,低湿な火口原の二面性を有することから,カルデラ内の居住は,比較的水はけのよい土地を選び,湧水に恵まれた谷東部の扇状地末端ないし外輪山直下の崖錐末端から始まったとみられる。一の宮町手野,中通一帯には県下最大規模の中通古墳群(県史跡),手野の上御倉古墳(県史跡)をはじめ,火口原の開発に関係したとみられる豪族の墳墓が数多く分布する。また,同地域では古代条里制の遺構を明瞭に検出でき,火口原内における水田開発の発祥を物語る。「風土記」逸文に,「筑紫の風土記に曰はく,肥後の国閼宗の県。県の坤のかた廿余里に一つの禿なる山あり。閼宗の岳と曰ふ」とあり(風土記/古典大系),古代における阿蘇郡の中心が阿蘇中岳火口を南西に仰ぐ一の宮町宮地一帯に位置していたことがうかがわれる。同所の阿蘇神社は,農業開拓神から平安期以降火山神を祀る高次な性格を有するようになり,火山活動とともに神階を高めていった。火振り祭・御田植(おんだ)祭など一連の神事は,厳しい自然条件のもとで五穀の豊穣を火山神に祈願する祭典で,国の重要無形民俗文化財。耕地5,162haのうち,水田が4,609ha(89%,昭和55年)を占め,肥後の赤牛で有名な褐毛和牛の飼育を加味した稲作中心の農業を展開。昭和45年から阿蘇谷全域にわたって大規模圃場整備事業が施行され,用排水の分離など土地改良が進む。阿蘇地方の行政機関が集まる宮地と,温泉郷の内牧(阿蘇町)が阿蘇谷の2中心市街地を形成,中央火口丘のすそ野に沿って国道57号と豊肥本線が東西に貫く。また,坊中(阿蘇町黒川),赤水(阿蘇町)から阿蘇山上へ至る阿蘇登山道路,宮地から阿蘇高岳中腹に至る仙酔峡有料道路,九重を経て大分県別府に至る別府阿蘇道路(やまなみハイウエー)が通じる。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7223499