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天草諸島
【あまくさしょとう】


天草下島・天草上島を中心に120余の島嶼からなる諸島。天草群島とも称した。北は有明海(島原湾)および長崎県の島原半島と相対し,西は天草灘,東は八代(やつしろ)海(不知火海)に囲まれる。天草諸島の総面積は881.39km(^2),うち天草下島570.29km(^2)・天草上島219.62km(^2)・大矢野島30.15km(^2)・御所浦島13.02km(^2)・戸馳島6.92km(^2)・維和島6.76km(^2)・樋島3.83km(^2)・湯島0.71km(^2)など。日本列島の4主島を除けば,面積では天草下島が第4位,天草上島が第12位。天草諸島の人口は昭和60年に16万9,286人で,県全体の9.2%。人口の減少率は昭和45~50年には3.7%,同50~55年1.3%,同55~60年には2.2%。諸島中の標高500m以上の山は7あり,天草上島に倉岳・念珠岳・老岳,天草下島に天竺・角山・柱岳・矢筈岳がある。島の標高は平均約120m,河川はいずれも流路が短く,一町田川(13.6km)・亀川(9.9km)・広瀬川(9.8km)・河内川(9.6km)など。中世には天草五人衆が割拠したが,豊臣秀吉の九州仕置を経て小西氏領となり,関ケ原合戦後は加藤氏領,慶長6年から肥前唐津の寺沢広高領となり,富岡に築城した。凶作と圧政に窮乏した天草の農民は,キリシタン弾圧にも苦しめられ,寛永14年10月に天草・島原の乱となって年来の不満が爆発した。乱鎮定ののち幕府領となり,明治に入り県の変遷を経て明治9年に熊本県に属した。天草諸島には,昭和41年に天草五橋が開通して以来,架橋ブームが到来,通天橋・樋島大橋・瀬戸大橋・通詞大橋・大維橋・野釜大橋が開通,中瀬戸橋が同61年11月21日に完成した。第2天草架橋(松島町阿村大戸鼻―維和島―戸馳島)も計画中。天草諸島は昭和28年に離島振興法の指定を受けたが,天草五橋開通後は逐次解除され,同55年度からは御所浦町・大矢野町湯島・新和町横島などが適用を受けている。天草諸島内の道路も急速に改善され,昭和40年に牛深市から宇土(うと)郡三角(みすみ)町に至る道路が国道266号に昇格,同44年に国道324号が誕生,同49年に両国道の一部が路線変更し,同時に国道389号も指定され,同50年九州サンセットラインと命名された。同年には天草五橋の通行料が無料となり,天草五橋における車の通行量は現在1日1万台に達する。また天草下島横断道路(天草はまゆうライン)が同53年,下島北部広域農道が同54年に開通し,上島中央広域農道(上島スカイライン)が同59年に起工した。架橋や道路整備により天草の経済は大きく発展しつつある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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