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熊本平野
【くまもとへいや】


県北西部,阿蘇西外輪山西麓の肥後台地と南西部の沖積低地からなる九州第二の平野。熊本市・宇土(うと)市・菊池郡・飽託(ほうたく)郡・上益城(かみましき)郡・下益城郡にまたがる。東は阿蘇西外輪山の西麓,北は菊鹿盆地に接し,西は金峰火山群から有明海,南は木原山(雁回山),宇土半島に限られ,平野の中心に県都熊本市が立地する。面積は全県の約1割にあたる約775km(^2)。平野の約7割を占める東部の肥後台地は,主に阿蘇火砕流の堆積物からなり,台地を開析して白川・合志(こうし)川および緑川が西方の有明海に注ぐ。白川以南の台地面は,標高約100m,30~40m前後,10mの境界で3段階をなし,白水台地(高遊原)・託麻原,白川以北に大津台地・菊池台地(黒石原・合志原),合志川の北に花房台地がある。高遊原には熊本空港が立地する。台地の表層は黒色ローム・赤土,下層は軽石層・火山礫や砂礫からなり,地下水は深く水に乏しい。台地上には託麻三山(神園山・小山山・戸島山),群山,飯高(はんこ)山など中生代白亜系姫ノ浦層群の岩質からなる小丘陵が島状に点在して平野の単調さを破り,台地西部には主に安山岩質の集塊岩および砂礫段丘堆積物からなる自然公園の立田山の丘陵がなだらかに横たわる。沖積低地に臨む台地の末端には,水前寺・江津湖・八景水谷(はけのみや)など阿蘇火山からの伏流水をも含む豊かな湧水帯があり,画図水辺公園はいわゆる水郷地帯をなし,熊本市上水道の水源となっている。白川・緑川の下流域に沖積する低地の北部は,阿蘇火山灰を主とした白川の堆積作用が盛んで,古熊本湾に沖積した三角州とみられる島畑や自然堤防の微高地が鳥趾状に発達し,ここに古くから洪水を避けて集落や道路,用水路などが立地している。平野周辺の山麓や丘陵・台地の谷沿いなどには先土器時代から縄文・弥生時代の遺跡や古墳が多数発見され,熊本市を中心に古代から肥後の国府・国分寺が置かれ,市の南部御幸・田迎地区には条里制も施行された。一方,水不足に悩む台地の開発は遅れ,灌漑施設は16~17世紀に完成したという,白川から取水する瀬田下井手・瀬田上井手に始まる。近世初頭,細川氏肥後入国の時,台地上の黒石原(合志町),堀川・津久礼(菊陽町)などに屯田兵として下級武士を入植させ,熊本城の防衛にあたらせた。下流域では加藤清正が創設したという白川がかりの渡鹿堰,これから分水する一の井手・二の井手・三の井手,加勢川がかりの六間石樋の灌漑が普及し,平野の生産力は高まった。海岸からほぼ2km以内は,熊本藩や三家老,士族開・手永開による干拓地であるが,その北部白川尻の用水不足も昭和11年建設の白川補給水によりほぼ解決した。昭和40年頃から始まった台地の深層地下水を揚水して行う開田化や畑地灌漑は,陸稲・サツマイモ・雑穀・煙草などを中心とした畑作営農を,スイカ・メロンなどの施設園芸や水田,酪農・養鶏などの近郊農業に一変させた。近年台地の空港周辺の内陸部には,軽電機やオートバイなどの先端技術産業が立地し,テクノポリス建設などで,都市化が進み,黒石原の雑木林も次第に失われつつある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7224984