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豊永
【とよなが】


旧国名:肥後

(中世)鎌倉期に見える地名。球磨(くま)郡のうち。建久8年閏6月日の肥後国球磨郡田数領主等目録写(相良家文書/大日古5‐1)に「球摩郡二千丁……公田九百丁」のうちとして「豊永四百丁 地頭 藤原家基三百丁字須恵小太良」と見える。正応6年7月20日の相良上蓮(頼氏)譲状写(同前)に「豊永多良木村」と見え,多良木村の地頭職などを子息六郎頼宗に譲渡している。現在の須恵村・免田町・多良木町にわたる一帯に比定される。なお,寛元2年5月15日の人吉庄起請田以下中分注進状(同前)に,同荘南方のうちとして「一,豊永名肆反〈已出田〉」,同4年3月5日の六郎頼利宛相良蓮仏(長頼)譲状(同前)に在家分として「一所弥平太〈苧一両二分,桑二十本〉,豊永内」,同じく藤二永綱宛の譲状(同前)に「一,豊永 藤吉 四反」,正嘉元年9月14日の永綱宛鎌倉将軍(宗尊親王)家政所下文(同前)に「豊永藤吉肆段」,また,永仁4年10月26日の人吉庄稲富豊永名田名主注進状案(同前)に「いなとみとよなかのミやうのたのなぬしの人々」などが散見されるが,広域地名としての豊永と人吉荘南方のうちの豊永名とのかかわりについては不明な点も多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7226658