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水島
【みずしま】


菊池郡七城町台にある古戦場。西南戦争の折,政府軍・薩摩軍が枢要の地隈府(わいふ)(菊池市)の争奪戦を行った所。一帯は菊池川や支流の迫間川・木野川・内田川が形成した低平な菊鹿盆地の一角で,南北朝期の天授元年に菊池武朝と今川了俊が戦った古戦場でもある。この地では明治10年の3月30日と4月9日を頂点とする西南戦争の激戦が行われた。3月24日薩摩軍は隈府に着陣,ここを固守するため山鹿街道の羽手の木を第1防御線,町の入口切明を第2防御線として塁濠を築き,背面の防備として高塚・米原台に陣地を構えた。一方山鹿新町(鹿本郡鹿本町来民)にあった政府軍も3月30日早朝から行動を開始。主力隊は本分に着陣,右翼隊は野間口(菊池市),左翼隊も高塚付近で薩摩軍と対峙,夜明けを待った。高塚・米原での衝突が,当地域における戦闘の口火となり,同時に羽手の木台場方面でも,神来・野間口の政府軍が進撃を開始した。切羽口では白兵戦となり,薩摩軍の損傷は甚大であった。しかし薩摩軍の遊撃隊はひそかに行動を起こして政府軍の背後を突いたため,政府軍は隈府攻撃を断念,主力は山鹿新町に撤退した。3月31日から4月6日まで戦闘は小康状態を呈した。4月9日,迫間川を挟んでの戦闘が開始され,薩摩軍は頑強な抵抗を試みたが,寡兵による劣勢と弾丸の欠乏のため隈府撤退を決意,熊本街道と大津街道の二手に分かれ夜明け前に総退却を完了した。隈府の攻防戦は17日にわたり,政府軍38名,薩摩軍200名以上の死傷者を出した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227799