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大分川
【おおいたがわ】


古くは「おおきだがわ」といい,堂尻川ともいう(豊後国志)。中央,大分平野を流れる川。1次支川25,2次以降支川22を有する1級河川。由布岳(ゆふだけ)(1,583.5m)南西麓の大分郡湯布院(ゆふいん)町川上(かわかみ)に源を発し,由布院盆地をほぼ南西流する。盆地を出ると城ケ岳(1,168m)・野稲(のいね)岳(1,038m)両火山の間を南東流,庄内(しようない)町で流路を東に変え,九重(くじゆう)火山群に源を発する阿蘇野(あその)川と芹川(せりかわ)を小野屋(おのや)付近で合わせるが,この一帯では狭長な谷底平野が開け,河岸段丘の発達が顕著である。さらに東流,挾間(はさま)町を経て,大分市に入り,賀来(かく)川・七瀬(ななせ)川を合わせ,比較的広い沖積平野を展開。由布川軽石流地域を浸食して流入する小挾間(おばさま)川・由布川(賀来川上流)などは深い峡谷を形成している。大分市宮崎の北で流路を北に変え,今津留(いまづる)で裏(うら)川を分流し,別府湾に流入する。延長51.198km・流域面積650.5km(^2)。「豊後国風土記」は,直入郡の南を経由して,東の海に注ぎ入り,年魚(あゆ)が多くとれると記す。「豊後国志」には「堂尻川 按ずるに続日本後紀謂う所の寒川。風土記に謂う所の大分川。即ち此れなり。……此水,郡の袋・竜原を過ぎ,透内川を合わせ,東北行,阿鉢の北に出で,池上の西を遶り,南行東折,谷・田野小野を過ぎ,堂尻川となる」とある。下流では光吉(みつよし)川といい,「堂尻の水,賀来郷国分・小野津留を過ぎ,尼箇瀬に到り,賀来川を合わせ,下宗方を経て,光吉に到りて光吉川となる。畠中・羽屋・古国府の東を過ぎ,北向,千手堂町を過ぎ,坊小路・今津留を経て,海に入る。此水,竜原より郡中を横断し,百渓の水を控き,北海に入る。総じてこれを大分川と謂う。今土人,これを由布川と謂う。盖し二源。一は速見郡由布より来たる。諸村を経て,透内川となる。東流,堂尻に入り,一となって此に到る」とある。また上中流部を由布川といい,同書には「二源有り。一は由布郷温湯村嶽下池に発し,西南行,山崎・平・光永・前徳野諸村を経て,津津良に至り,東向畠を遶る。一は玖珠郡扇山の東渓に出で,湯平を遶り,畠に至り,相合して一と為る。小平を経て大分郡に入る」と記している。上流部の由布院盆地,中下流部の谷底平野と三角洲には広い水田が開けているが,左岸の初瀬(はつせ)井路(天正年間開削),右岸の明治大分水路(明治年間開削)をはじめ10数条の用水路から豊富な川水が送られている。灌漑面積3,715.2ha。中流部は火山地の間を流れ,河床勾配も急で,昭和31年に建設された芹川ダムなどの多目的ダムも建設され,11の小発電所がある(最大出力5万3,000kw)。大野川と同様に火山性丘陵上を流れる河川のため,農業用水の開発は一部を除いて比較的新しい。下流部の大分市では,両岸に住宅団地の開発が著しく,交通体系が整い,大分市の都市化に伴って大分川流域の変貌は著しい。→阿蘇野川(あそのがわ)・小挾間川(おばさまがわ)・賀来川(かくがわ)・芹川(せりかわ)・七瀬川(ななせがわ)・花合野川(かごのがわ)(支流)




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7229211