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奥嶽川
【おくだけがわ】


大野郡緒方町と同郡清川村を流れる川。宇田枝(うたえだ)川ともいう(豊後国志)。大野川水系。1級河川。県南部の祖母山(1,756.7m)の東側山腹に発し,緒方町上畑(うわはた)で九折(つづら)川を合わせ,比高100m内外の溶結凝灰岩の峡谷をうがって北流,小原(おはる)付近で北東に流路を転ずる。栗生(くりう)を過ぎて,清川村に入り,平石・左右地(そうち)まで出ると,段丘面がわずかながら展開する。六種(むくさ)・宇田枝・三玉(みたま)では500m内外の幅になるが,雨堤(あまづつみ)の松尾付近で中津無礼(なかつむれ)川を合して,再び峡谷となって大野郡三重町との境をなし,岩戸(いわど)で大野川に流入する。「豊後国志」に,「宇田枝川 源は緒方郷尾平山に出づ。上畠を経て中野・栗林に至り,傾(かたむき)山北渓二流を引く。滞迫・小原・谷門・小中尾・栗生の諸村を経,諸渓細流を引く。東北行,長小野・柏野・日小田・宇田枝を過ぎ,井崎北に至りて,中津牟礼川を合わせ,岩戸川に入る」とある。延長27.89km・流域面積99.3km(^2)。中流の轟(とどろ)・柏野(かしわの)付近から下流には両岸に河岸段丘の発達が見られ,岩戸では2段の段丘がよく発達し,主要地方道竹田野津線は下位段丘上を通り,上位段丘上からは後期旧石器時代遺跡が発見された。段丘面上は,狭長な沖積低地とともに集落・耕地がのっている。頭首工15・灌漑面積437.0ha。支流の九折川は傾山(1,602m)西側に発し,北西流,九折鉱山を経て,緒方町上畑(うわはた)で奥嶽川に合流する。延長3.6km・流域面積11.7km(^2)。源流は傾山西面の岩壁直下の原始林に深く食い込み,幾多の美しい渓谷を作り,花崗岩床には甌穴も発達している。三ツ尾経由の登山路から望まれる観音滝が40mの懸水を見せているのをはじめ,瀑流・滝・淵も多い。渓谷沿いの道は九折越(1,270m)を経て,宮崎県西臼杵(にしうすき)郡日之影町見立(みたて)に通ずる。中津無礼川は中津牟礼川とも書く(豊後国志)。傾山北側に発し,大白谷(おおしろたに)を東流,稲積(いなづみ)山東麓の中津留(なかづる)から北流して,伏野(ふせの)の中津無礼北東で奥畑川を入れ,清川村雨堤の松尾付近で奥嶽川に合流する。「豊後国志」に,「緒方郷大白谷村南に発す。稲積山の下を遶り,猪毛・犬鳴を経て,中津牟礼川と為る。伏野東に至りて,奥畠川と合し,北流して岩戸川に入る」とある。延長26.947km・流域面積57.3km(^2)。大白谷から中津留にかけては谷底平野がかなり開けているが,伏野から下流は峡谷をなし,三重町と清川村の境界をなしている。頭首工22・灌漑面積56.7ha。中津留にある轟井堰は大野中部水路に送水,三重・新田(あらた)・百枝(ももえだ)方面529.5haを灌漑している。中津無礼川の支流,奥畑(おくばた)川は奥畠川とも書く(豊後国志)。旗返(はたがえし)峠付近に発して北西流,奥畑の谷付近で熊ケ谷川を入れ,伏野(ふせの)の東北で中津無礼川に合流する。「豊後国志」に,「宇目郷奥畠村の東南に出で,代を経,西流して大牟礼・松箇平の北を遶る。伏野の東北に至りて中津牟礼川に合す」とある。延長11.782km・流域面積20.2km(^2)。谷底平野の発達に乏しく,頭首工4で,灌漑面積は3.3haにすぎない。岩戸川は,「豊後国志」に,「岩戸川 宇田枝・中津牟礼二水合流。東北行,岩戸・柿木東を過ぎ,沈堕下流に会し,東北を指して向野に下る」とある。奥嶽川と中津無礼川の合流点から,その岩戸付近で大野川へ合流するまでの間を岩戸川と呼んでいたようである。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7229430