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七瀬川
【ななせがわ】


赤坂川とも呼ぶ(豊後国志)。大分郡の西南部から大分市に流れる川。大野郡の朝地町荒木および野津原(のつはる)町高沢の境に発して東流し,大分市大字光吉(みつよし)で大分川に注ぐ。流長2.75km・流域面積94.9km(^2)。「豊後国志」に「大野郡大野郷荷小野村から来り,郡の稙田(わさだ)郷岡倉村に出る。竹内・辻原をめぐり,北に向い,赤坂川となる。俗に呼びて,七瀬川という。下野尾・野津原の間を過ぎ,東流して,鬼坊瀬となり,塚野・胡麻津留(ごまづる)を経,市(いち)に至り,高城の南をめぐり,下宗方に至り,光吉川に入る」とある。現在,赤坂川とはまったく呼ばれず,七瀬川で通用している。赤坂の地名は付近になく,地名の由来も定かでない。七瀬川の由来は,上流から一ノ瀬・鬼坊瀬など7つの瀬があることからつけられたものという。阿蘇溶岩を深くえぐった川で,S字形の河谷ができ,集落も高所にあり,水の便が悪い。わずかに野津原盆地の小低地が人家・耕地ともに密である。しかし古代,竹田~大分間の交通の要地として,この七瀬川沿いは注目された。梯ノ山(柿ノ山)の寨・鷲ケ城などは七瀬川の川谷の上の台地にあり,政治・経済の中心となったと思われる。鷲ケ城は野津原盆地の愛宕(あたご)山(104.9m)にあった城で,大神(おおが)有綱が源平合戦の功労として吉藤(よしふじ)名(野津原)を領し,のち大友能泰がこれを領したという。梯ノ山の寨は標高113mで,七瀬川・太田川が寨の東端で合流する。三方は40~50mの絶壁で,まったく自然の寨で,わずかに西端が開け,通路となっている。地形的には岡城と似ている。この寨跡は昭和初期まで森林が多かったが,開発がすすみ,田畑・学校・住宅地へ転用され,昔のおもかげはなくなった。最近,この七瀬川の下詰付近にダム建設問題が起こり,開発か保存かで対立している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7232374