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えびの高原
【えびのこうげん】


えびの市にある盆地状の高原。標高約1,200m,面積約600ha。県南西部に位置する霧島火山群の北部にある甑岳(1,301.4m)・白鳥山(1,363.1m)・蝦野岳(1,305.4m)・韓国岳(1,700.3m)の4つの火山体に囲まれている。高原よりも高い火山の裾野に当たり,洪積世中期の霧島火山旧期溶岩の上に霧島火山現世溶岩が覆ってできた火山性山間高原でもある。高原は全体として標高1,300m辺りの韓国岳西麓を頂点として,西ないし北西方向に緩やかに波浪状に傾斜し,約1,100mまで下る。そこは白鳥山と蝦野岳との裾合いで鞍部になっている。この付近から周囲の火山および当高原の地表下を伏流してきた地下水は川内川の支流長江川となって流出する。現在は全国的に著名な観光地となっているが,昭和30年頃までは交通の便が悪く,訪れる人も少ない原野で,2mもあるススキに覆われた荒地であった。そのうえ高原東部韓国岳の北西麓に位置する高度約1,300m,比高50mの硫黄山(賽の川原)から噴出する硫黄ガスがしばしば漂っていた。硫黄山では,昭和36年まで,この硫気ガスを石積みの煙道に導き,そこに敷き詰めた岩屑に冷却吸着させた硫黄(品位40~50%)を採取し,月産100~150tほどの生産があったが採算が取れず,昭和37年に閉鉱した。昭和29年応急修正,同35年6月30日発行の5万分の1地形図霧島図幅をみると,硫黄山に採鉱地記号が表示してあり「ゆおう」と明示,この高原一帯の地名は「海老野」と記載されているだけで,現行地形図のように,えびの高原とはなっていない。8月下旬の高原はススキが白い穂を一斉にそろえ,9月以降雨に打たれたススキは全体が次第にピンク色となり,さらに赤褐色のえび色の野へと変わる。これが「えびの」の名称由来だといわれている。それは硫黄山の噴出する硫気ガス中の亜硫酸ガスが雨水に溶けて亜硫酸・希硫酸と変わり,ススキの表皮細胞などを酸性化させる結果赤くなるといわれ,雨や霧の多いこの高原にみられる現象である。また,ススキの下に樹高50~70cmの横へ広く枝葉を延ばしたツツジ科の低木,ミヤマキリシマが群生しており,晩春から初夏にかけてピンク色から深紅色の小花が満開となる。特に高原周辺の火山麓のススキが伐採されてミヤマキリシマが露出し,観光要素の1つとなった。当高原をもつえびの市は,昭和41年11月3日,霧島火山群の北側に位置する加久藤盆地内の飯野・真幸・加久藤の3町が合併してえびの町となり,同45年には市制を施行してえびの市となったもので,これは当高原の方が早く観光地として開発され,急速にその名が全国的に知られるようになった結果である。高原の開発は,まず昭和28年5月飯野から当高原に通じる主要地方道えびの高原小田線(バス運行)の完成と同年県営の宿泊所開設に始まった。翌29年に飯野観光協会による高原キャンプ村が開設。さらに昭和31年には白鳥山の中腹にある九州最高所の火口湖の白紫池(直径約250m,水深平均50cm)に天然スケート場が開かれた。また同33年に小林市~えびの高原間に日本道路公団による北霧島有料道路(主要地方道小林えびの高原牧園線)が完成,国鉄吉都線小林駅から約24kmの高原まで自動車・バスで約1時間で行けるようになったため,この道路が高原へのメーンルートとなった。さらに,えびの高原から韓国岳・大浪池の西側山腹を南へと鹿児島県側へ進む霧島スカイラインが昭和36年に完成されることによって,鹿児島県側の南霧島有料道路と連絡し,自動車で手軽に行ける新しい大型観光地としてクローズアップされてきた。現在年間の観光客は約200万を数える霧島屋久国立公園内にあって,ホテル・ヒュッテ・国民宿舎などの宿泊施設はもとより,レストセンター,温泉の露天風呂,そのほかレジャー施設が整っている。さらに白紫・六観音・不動の3つの火口湖もあって池巡りは手頃なハイキングコースとなり,春はミヤマキリシマ,夏は深緑を呈する原生林や赤松千本原の森林景観,秋にはススキのえび色と紅葉,冬は白紫池でのスケートなど,四季折々,一年を通して楽しむことができ,韓国岳登山口もある。このように多くの観光要素を内包する大型観光地となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234509