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大淀川
【おおよどがわ】


宮崎市に河口をもつ県下最大の川で1級河川。鹿児島県の末吉町付近の山地を源とし,都城盆地から西諸県(にしもろかた)郡野尻町・東諸県郡高岡町を経て宮崎市で日向灘に注ぐ。幹線流路の延長は82.7km(県河川砂防課資料)。流域面積2,233km(^2)は県下の河川中群を抜く。本流が通過する市町村は,鹿児島県分を含めて2市4町に及ぶ。112本の支流にかかわる地域は本県の中部をほとんど網羅する。都城盆地から高岡町までの山地では,V字谷を刻みながら流れる。古書にも「去川(高岡町)ヨリ上流五里ノ間ハ大石中流ニ碁峙シ,急湍矢ノ如クナレバ舟筏モ上下スルヲ得ス」(日向地誌)とある。いまこの区間にはダムが設けられ,大淀川第1・2の両発電所がある。都城盆地を出てからとだえていた沖積平野も,高岡町を過ぎるあたりから広がりをみせはじめ,宮崎市で大きく拡大し,その上に市街地を発達させる。かつては市街地の所々に,江平池・西池・弦月湖など,往時の大淀川の名残を示す河跡湖がみられたが,都市化によりその痕跡は失われてしまった。「日向地誌」は大淀川を赤江川として記述している。「古ハ赤井川トモ言今或ハ大淀川ト言フ」とあるところをみると,大淀川の呼称は「日向地誌」編纂の年代からいって,明治初期に起源するようである。「海口ヨリ去川マデ七里十八町ノ間ハ舟筏沂洄ス」とあり,陸上交通が未発達であった往時には,本県中央部を東西に貫く内陸水路として重要な役割を果たしていた。河口の城ケ崎が赤江港のにぎわいで繁栄したことはよく知られているが,それを支えたのが内陸水路で結ばれた高岡や本庄,遠く都城などの後背地であった。都城盆地の物資を川舟で赤江港に送るため,観音瀬の巨岩を砕いて水路をつくるのに藤崎公寛は1年半(寛政3~4年)を費やした(庄内地理志)。ただ河口付近の水深の浅いことが赤江港の悩みであったらしく,「海口ハ年々浅シ 四五百石以上ノ船ハ必ス潮来ルヲ待テ乃チ出入ス」とある。これが赤江港の発展を阻害する要因となるが,日豊本線の開通をはじめとする陸上交通機関の発達も港の機能を衰微させ,河口一帯の都市的発展は置きざりにされた格好になっていた。しかし,再びいま宮崎港の築港と整備により大きく変わろうとしている。昭和60年を目標年次とする港湾計画によれば,1万5,000t級の船舶が係留できるバースをはじめ,90万m(^2)の埠頭用地や18万m(^2)の工業用地も整備するというものである。中央と宮崎県を結ぶ海のターミナルに返り咲く日も近い。大淀川は河口に南北に長い砂嘴とラグーン(入江)をもつ。これは南下する沿岸流と,多量の土砂を吐き出す川の作用が,地盤の隆起運動や風の働きなどと結びついて形成したもので,単調な一ツ葉海岸に変化を添えている。入江の水面に影を落とす松林の景観は,かつての宮崎の名所の1つでもあった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234597