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小丸川
【おまるがわ】


東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉(しいば)村南部の山地を源流域とし,尾鈴山の西縁を回るようにして児湯(こゆ)郡高鍋町で日向灘に注ぐ1級河川。全長73km,流域面積474km(^2)は本県でも屈指の川の1つである。東臼杵郡南郷村神門(みかど)に狭長な盆地状の谷底平野をみせるが,他は児湯郡木城(きじよう)町川原(かわばる)までV字谷を形成して流れる。特に上流域の谷は深く鋭いため,集落も山腹の緩傾斜部分に立地している。日本民俗学の祖柳田国男が最初に椎葉入りしたのはこの谷筋からで,椎葉村栂尾(つがお)地区を中心に今も古い習俗を残している。険しいV字谷は中流域の南郷村児洗(こあらい)から木城町川原までの間にもみられる。ここは九州山地と尾鈴山地との接点にあたり,造山運動に伴う営力が活発に作用した部分であるため,全流域中でもっとも深い谷を形成する。松尾・戸崎(とざき)・浜口の各ダムはこの地形を生かして建設されたもので,それぞれ石河内(いしがわち)第1・石河内第2・川原の各発電所の水源となっている。武者小路実篤の「新しき村」は浜口ダムの傍らにある。下流の川原発電所の近くには木城町経営のキャンプ場が設けられ,夏季はにぎわいをみせる。小丸川が沖積平野をつくるのは木城町高城から下流の8kmの区間で,高鍋町の中枢はここに発達している。けっして広大な沖積平野ではないが,古くから日向中原の要衝として歴史の表面に登場する場所で,特に大友氏と島津氏が日向支配の覇権をかけて争った高城川原の合戦は,中世日向に終止符をうつきっかけとして知られる。小丸川は13の支流をもつが,渡川(どがわ)・宮田川・切原川が主なものである。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234663