100辞書・辞典一括検索

JLogos

23

蚊口浦
【かぐちうら】


県中部,児湯(こゆ)郡高鍋町の小丸(おまる)川河口右岸の砂丘一帯の小湾入。青島(宮崎市)から美々津(みみつ)海岸(日向市)に至る約60kmの,ほぼ直線状の砂浜海岸をなす宮崎海岸平野に属する。単調な海岸線は過去数千年間の,大淀川・一ツ瀬川・小丸川・耳川などによる土砂運搬の累積結果により形成。小丸川河口以南の新しい沖積平野は,海岸の隆起とあいまって,砂丘が海岸線に沿って発達した。当浦は宮崎海岸平野の中央部よりもやや北に位置するが,南の一ツ葉の浜,北に美々津権現崎を望み,東は太平洋に続く日向灘,海岸には白砂青松の風光明媚な風景が展開。「日向地誌」によれば蚊口浦港は「高鍋村ノ東海口ニアリ 港口ハ東南ニ向ヒ港内ノ濶縦八九町横二町許 干潮深二仞ニ過ス 高鍋川其中ニ流入スルヲ以テ港内漸次ニ埋ル 百石以下ノ船数十艘ヲ繋クヘシ」とある。かつて高鍋藩は盛んに木炭製造を行い,大坂方面へ移出していた。記録では明和6年蚊口浦の藤右衛門の持船が,木炭2,000俵を積んで沈没し,武兵衛は御用炭3,000俵を積んでいたとある。現在,当浦は昔日の面影なく,小舟の舟溜となっている。むしろ今は磯カキの産地として有名で,蚊口カキは天然カキとして,蚊口浦のカキ料理屋で賞味される。浦付近に鵜戸神社があり,鵜鷀草葺不合尊を主神とし,天照大神や数柱の神々を合祀。境内東側に自然石の碑があり,「疑ふな潮の花も浦の春」と松尾芭蕉43歳の時の句が刻まれている。往時,著名であった老大樹の琴引の松は蚊口浦に麗姿を誇ったが,今では琴引の松跡が残り,人々の記憶から遠ざかりつつある。付近に数本の松樹と安永8年建立の歌碑がたち,蚊口千軒といわれるほど栄えた昔の港町の姿は歴史のかなたに消えている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234683