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加久藤盆地
【かくとうぼんち】


真幸(まさき)盆地ともいう。県の南西部,えびの市の中央に位置するカルデラ起源の盆地。東西約20km,南北約5kmと細長い。盆地内には昭和41年に合併した旧3町が,東から飯野・加久藤・真幸と連なる。加久藤の地名は,戦国期の永禄7年に城主となった島津義弘の久藤城に始まる。当時の加久藤地方は徳満と呼ばれていたようである。久藤城は島津義弘夫人の居城であり,「日向地誌」には「中古以来,真幸ノ領主北原氏ノ世守スル所ナルカ 永禄七年甲子十一月十七日ヨリ天正十八年ニ至ルマテ 島津義弘飯野城ニ居リシ時 其家宝ヲ此ニ置キシ所ナリ」と記録があり,飯野城は久藤城を加え防衛力を強化し,久藤城が背後から守っていた。その後同城は,加の字を付け加えて加久藤城と呼ばれ,これが加久藤の郷名となった。真幸は古名を馬関田・真斫(まさき)と書かれ,「まんがた」と呼ばれていたようである。「日向地誌」には馬関田に「マングハダ」と仮名を付している。盆地底北側を,川内(せんだい)川の上流が西流したのち,真幸地区の西部で南流し,鹿児島県の吉松町に入る。山地と盆地底との間には,上下2段の礫層段丘がみられ,沖積地も形成されている。当盆地は南九州の低地帯の霧島・桜島の火山活動と密接に関連している。新生代第四紀更新世に,霧島火山の前身の加久藤火山の激しい噴火があり,その後の陥没でカルデラとなり,凹所にたたえられた水は加久藤湖となった。更新世後期(洪積世)になると,加久藤カルデラ南部に再び火山活動が始まり,霧島火山が形成された。霧島火山の成長や姶良火砕流と加久藤層群の土砂の埋積で,カルデラ湖は次第に浅くなり,のちに川内川がカルデラ壁の西側を破り,湖水は排出され今日の加久藤盆地の原地形となった。現在,盆地の標高が300m未満(加久藤で標高240m,京町付近で標高218m)であることが,過去に加久藤湖の湖底であったことを物語る。加久藤カルデラの外輪部は矢岳高原などに面影をとどめる。川内川沿いの沖積低地は火山灰が比較的少なく,えびの市の全耕地4,400haの約65%は水田となり,良質米を産する。周辺の台地ではサトイモ・スイカが特産,山地では木材・シイタケを産する。畜産では乳用牛・肉用牛の飼育も盛んである。気候は内陸性で南九州の中でも,2月の平均気温が4.7℃と,冬季はかなり低温である。真幸地区の中心地京町は,県内唯一の平地の温泉郷で,北の吉田温泉とともに県内では著名である。加久藤盆地は昔から,日向と肥後・薩摩を結ぶ交通の要地である。鉄道は国鉄の吉都・肥薩両線が通る。肥薩線真幸駅から熊本県人吉市の大畑駅に至る矢岳越えのルートは,スイッチバックによるループ線で,全国的にも珍しい。道路は九州自動車道宮崎線,国道221号・268号の各線が通り,中でも221号の改良工事による加久藤トンネルの開通は,加久藤盆地の隔絶性の解消に大きく貢献している。




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「角川日本地名大辞典」
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