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山東
【さんとう】


旧国名:日向

(中世)南北朝期~戦国期に見える広域地名。日向国のうち。諸県(もろかた)郡山之口町青井岳天神嶺を境界にその東をいう。文保2年3月23日付関東下知状(樺山氏文書/旧記雑録前1)には,「山西」として諸県郡域の樺山・石寺・島津が記されており,おそらく鎌倉末期には「山東」の呼称もあったと推定される。南北朝期の永和2年(推定)10月8日付野辺盛久書状(禰寝文書/九州史料叢書19)には「当国山東大将霜台下向之事」と見え,日向山東の大将今川氏兼の下向が近日であると記している。また,同年10月24日の今川了俊事書案(同前/今川了俊関係編年史料上)には「日向国山東山々事合力事,雖度々被仰尚以遅々」と見える。室町期に入り,応永3年11月7日,島津元久は鹿屋周防介に対して,「山東」において闕所が出来した時は,給分として30町を宛行うと約している(鹿屋氏文書/旧記雑録前2)。また,応永20年9月25日,島津久豊は,樺山孝宗に対して,「山東」の諸県荘内嵐田40町を給分として宛行い(樺山文書/旧記雑録前2),応永年間の島津久豊の日向計略の際には,曽井,源藤を「山東」と呼んでおり(山田聖栄自記/鹿児島県史料集7),この地域が伊東氏支配下となっていた。文明6年8月の行脚僧雑録(旧記雑録前2)は,「山東」の支配者として伊東祐尭と祐国を記し,その居城として佐土原(さどわら)・土持・県(あがた)を記し,山東の城として穆佐(むかさ)・池尻・曽井・宮崎・清武・田野・山之城・木之脇・阿屋・本城・都於郡(とのこおり)・岡富・財部(たからべ)・竹篠・八代・平賀・塩見・比知屋・門川・新田・田島をあげており,日南地方を除く清武町・田野町・宮崎市から日向市に至る地域を「山東」と呼んでいたことがわかる。この後,文明8年頃の卯月8日島津季久書状(相良家文書/大日古)には,季久が山東に使者を派遣したと見え,また,大永6年頃の9月7日新納氏被官隈江匡久書状(旧記雑録前2)には山東への出陣と見えるなど,島津氏側からは,山東が伊東氏支配領域と同一視されていたことがうかがえる。永禄3年の10月7日樺山善久書状(樺山安芸守善久筆記/旧記雑録後1)には,室町幕府による島津・伊東両氏の抗争の調停にあたって,山東は薩・隅・日3か国守護職の保持を背景に島津氏の領有にあることを記しており,天正5年の伊東氏の島津氏への敗亡のなかで,島津氏は山東地域をも現実に支配することとなるのである(樺山紹釼自記/旧記雑録後1)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235111