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庄内川
【しょうないがわ】


都城盆地の西部を流れる1級河川。大淀(おおよど)川の1次支流である。霧島山系の南部山地を源流域に市内西半部の西岳・庄内地区を東流し,盆地中央部で本流に合流する。全長25km,流域面積141km(^2)。上流部から小規模ながら谷底平野をもち,水田や集落としての土地利用がみられるが,本格的な沖積平野は関之尾(せきのお)町から下流に広がる。ここでは水田化された沖積地と諏訪原(すわばる)・牧ノ原など,洪積台地の段丘がみられる。関之尾町には有名な関之尾甌穴群(ポットホール)と関之尾ノ滝がある。いずれも第四紀の姶良(あいら)火山の噴出物である溶結凝灰岩を浸食して形成したもので,高さ16m余,幅33mの滝はこの地方第一の名瀑として知られる。長さ600mにわたって続く甌穴群は学術的にも貴重とされ,昭和3年国天然記念物となっている。いまこの一帯はキャンプ場をはじめいろいろな施設も整い,四季訪れる行楽客が多い。庄内・山田・志和知(しわち)3地区の水田およそ300haを潤す関之尾用水路は,この滝の上流部から取水するもので,明治期庄内村の篤志家坂元源兵衛が開田事業として着手したものである。完成は事業を引き継いだ前田正名であったが,この地方の歴史に残る大工事であった。完工までの経緯を「宮崎県嘉績誌」(大正4年刊)は次のように記している。「関之尾より字今屋近傍に在る畑地百数十町歩を田地に変せんと試み,関ノ尾上流に閘門を設け,百間以上の隧道を数か所に通し,年を閲する五星霜,貨を投ずる六千余円,画策経営労を忘れて事に従う。不幸にして工事益々困難,工費愈々多端,僅に十六町歩を開き了りてこれを前田正名に譲渡するのやむなきに至る。しかれども継承者の手によりて今や百八十町歩の成田を得,さらに着々開墾の歩を進めつつある」。盆地の宿命ともいえる水をめぐる苦闘の歴史をここにみることができる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235222