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延岡平野
【のべおかへいや】


県北部,延岡市東部を占め,市の中心地区を形成する平野。当平野は,北川・祝子(ほうり)川・五ケ瀬川の各河川の沖積作用により,河口付近に開けた扇状地性三角州を中心に形成され,川島・恋島・寺島・須崎・中川原・鷺島など,三角州と関係の深い地名がある。市の中心地区の面積は,川中地区4.42km(^2),岡富地区22.5km(^2),恒富地区22.05km(^2),計48.97km(^2)で,これが昭和8年市制施行当時の市域であった。現在は東海(とうみ)地区102.25km(^2),伊形(いがた)地区26.82km(^2),南方(みなみかた)地区64.23km(^2),南浦地区45.00km(^2)を加え,市域総面積は287.27km(^2)と拡大している。延岡は古くから日向国北部の中心であった。高橋・有馬・三浦・牧野・内藤各氏の城下町であったが,283年間に藩主が5氏も交代した例は,全国的にも珍しい。延岡は大正12年のカザレー法導入による硫安工場の立地に始まる,化学工業コンビナート,旭化成工業の街となっている。延岡平野が形成される以前は,深く湾入する古延岡湾があり,河口から約10km上流の吉野付近が旧河口であった模様。標高53mの城山,標高40mの野地は湾内の島で,沖積作用が進むにつれて,島の周辺は埋積され,五ケ瀬川は南側に大瀬川を分流して,周囲約13kmの川中地区を形成した。河口には北から北川,北西から祝子川が合流して,延岡平野の中核の扇状地性三角州と沖積地をつくり,現在の延岡市の中心部となった。三角州地帯の背後にある山麓・丘陵・台地に残る先土器時代や縄文時代を代表する遺跡,貝塚などが,古延岡湾の海岸線を物語る。河口から南には標高10m内外の砂丘が土々呂(ととろ)まで続いている。砂丘は浜川と沖田川の河口を内側に抱いてラグーン(潟)となっている。延岡平野を広義に定義し,地域区分をすれば,三角州地帯を含めて8地域になる。北川下流低地と称する川島の北方から下流の狭い三角州低地。延岡三角州と称する祝子川・五ケ瀬川の河口付近に広がる低地で,延岡平野の中心地域をなす大武・日ノ出・船倉・出北(いできた)地区の各低地。五ケ瀬川氾濫原と称する野田・行縢(むかばき)・三輪地区の各低地。祝子町付近から東方一帯にかけての祝子川氾濫原。丘陵地の野地町・大貫町地区。南延岡低地をなす長浜・浜町地区の各低地。沖田川埋積谷で,伊形・旭ケ丘地区にかけての沖田川低地。埋積性の小さい溺谷の土々呂低地。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235750