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馬毛島
【まげしま】


西之表市に属する島。種子島の西之表港から西へ約12kmの大隅海峡に浮かぶ。周囲14.3km・面積7.4km(^2),最高地点は岳之越岳の71.1m。古第三紀の砂岩・頁岩の互層を特色とする熊毛層からなる。表土は西方海上の火山島である硫黄島・口永良部島などのものと思われるローム層からなる。南北方向に長い楕円形に近い低平な島。本島は大隅諸島の1つで,黒潮の影響で暖かく,1年中ほとんど霜をみることはないが,毎年2~3回の台風に見舞われ,冬季の季節風も強い。古来種子島家の支配下にあり,明治5年政府は西之表の士族武田竜蔵などに貸下げ,ローヤルトップ短角牛の飼育を許す。明治13年政府の緬羊飼育試験場となる。明治23年牛牧舎経営不振から鮫島甚七の個人所有となる。明治32年種子島の池田・洲之崎・塰泊(あまどまり)の3か浦漁民に漁業根拠地を払い下げる。大正2年所有権が東京の三浦泰輔に移り,大正13年神戸の川西航空社長,川西清兵衛の所有となる。昭和16年緬羊を南種子村の長谷野川西牧場に移す。昭和26年国が入植者を誘致し,入植99戸に達する。昭和27年西之表の榕城小学校を置き,出張採業を行う。しかし,島は表土が薄く,アリモドキゾウムシ・シカの食害,旱害・風害に悩まされ,出稼ぎが相次ぎ,過疎化が進行した。昭和55年馬毛島開発(本社は東京)が農地法と関係のない土地約65%を買収し,無人島となる。同会社は最終的には全農地も買い上げ,島の西側を石油備蓄関係会社に売却し,残りの東側を会員制研修センターと,それに付帯するスポーツ施設の建設を予定している。沿岸海域は屋久島海域とともにトビウオの漁場で,藩政時代の宝暦13年,池田・洲之崎・塰泊の3か浦にのみ漁業権が認められ,漁獲されたトビウオは,塩干物に加工され,田植時の副食物として県内はもちろん,熊本県まで出荷していたが,第2次大戦後漁船の動力化が進み,冷凍船による鮮魚出荷が可能になり,西之表市場に水揚げするようになると,昭和25年頃まで続いた各浦ごとの漁期だけの季節的移住は行われなくなった。本島に棲息している小型のマゲシカは,最盛期は1万頭を数えたといわれているが,開拓団の入植以来,害獣として捕獲されたりし,絶滅の一途をたどり現在約100頭。東岸の葉山から八重石にかけてのソテツの群落は家老上妻七兵衛宗愛が植えさせたもの。この島を北限とする植物にソナレシバ・ハマガラシ,南限とする植物にヒメハリイがある。海中にはサンゴ礁があり,熱帯魚が群をなし,磯は貝類が多く,磯釣ではアラ・ブダイ・アオブダイ・メジナなど大物がよく釣れる。星砂の北限でもある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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