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焼内湾
【やけうちわん】


奄美大島最西部に位置する。大島郡宇検村にある湾。思勝湾の西南,久慈湾の北隣に位置する。湾口北には倉木(くらき)崎,南には曽津高崎がある。湾頭北寄りに枝手久島がある。リアス式海岸で湾頭から湾奥まで12km,水深も湾奥で23mと深く,海岸線は屈曲に富み,風浪を避ける天然の良湾。各入江には宇検村全集落のうち石良(いしはら),新小勝の2集落を除く13集落が立地する。道路の開通しにくかった地形の宇検村にとって当湾は村内を結ぶ重要な役目を果たしていた。湾名は「琉球中山伝信録」の「有西間切及笠利名瀬屋喜」,「琉球国郷帳」の焼内間切の地名に由来する。柳田国男の「海南小記」阿室女夫松には屋喜内湾と記されている。「薩琉海路図」には「焼内湊此湊入三里広二十町尋船繋場何風ニテモ自由大船百艘程繋」とある。「南島誌」には「宇検方宇検ハ島ノ西面ニアリテ長サ二里余リ幅四十五町深サ百四拾五尋大船百四拾五艘ヲ繋キ得ヘシ風波ヲ凌クハ最良キ港ト云フヘシ。宇検方ニ佐念名柄ノ両港アリ皆西嚮ニシテ佐念港ハ長サ二里幅一町半深サ十尋計リニシテ大船十艘余を容ルヘシ此港ハ能ク風濤ヲ避ケ碇泊スルニ最上ノモノト云フヘシ」とある。「大島要文集」に23反帆船の港として,宇検湊・名柄湊・佐念湊を記している。「大島代官記」に文化13年4月奥勇蔵他役人が屋鈍沖へ汐掛で上陸,弘化2年4月河野甚兵衛他役人が宇検湊に上陸とある。また,同書によると,明治15年4月英国軍艦7艘が田検村下へ入港している。湾頭の枝手久島は面積5.9km(^2)・最高332m,主に古生層の島で,阿室・宇検・久志の3地区の個人または共有地である。奄美における毒蛇ハブの発祥地と伝えられており,現在無人島。島の南側は水深67~96mと深いが,北側倉木崎との間は遠浅で干潮時徒歩で渡れる。そのため,北側を埋め立て石油基地を建設する計画が発表されてから,村を二分する論争が起きている。昭和31~38年にかけて,湾奥の湯湾(ゆわん)~須古(すこ)間25haの県営による干拓事業が実施されたが海水の浸透により失敗している。湾内の名柄(ながら)・部連(ぶれん)・須古・湯湾・田検(たけん)の入江ではマベガイによる真珠の養殖が行われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239363