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与論島
【よろんとう】


地元では「ユンヌ」と呼ぶ。鹿児島県最南端の島で北緯27°1′,東経128°24′に位置する。面積20.82km(^2),1島1町の小島。島内最高地点は標高97.2mで,全島隆起サンゴ礁からなる低平な島。城(ぐすく)にある琴平神社からは,沖縄本島・伊平屋列島・沖永良部島が遠望され絶景である。慶長14年鹿児島藩が琉球を征服するまで,与論島は奄美大島・徳之島・沖永良部島などとともに琉球の影響下にあった。その中心が与論城である。15世紀初め現在の琴平神社の場所に,琉球北山怕尼芝(はにじ)王の三男王舅が築いたといわれる。そのため現在でも琉球文化の影響が数多くみられる。鹿児島藩の支配下に入り,最初は徳之島代官,元禄4年以後は沖永良部代官の管轄下に入り,在番所が設置されていた。城は明治38年役場が茶花に移されるまで,藩政時代を通じ,与論島の行政・文化の中心であった。立長・叶・那間・古里の各集落は開拓集落で起源は今から4~5代前にさかのぼる。那間・古里にみられる散村が,その面影と思われる。主産業は冬季のサトウキビと夏季の観光産業であるが,町の収益としても同程度である。後者は昭和48年頃から急激に伸び,昭和54年度で15万人が来島している。夏季は「東京都与論町」といわれるほどのにぎわいをみせる。隣の沖永良部島とは船で2時間ほどの距離であるが,夏の趣は大きく違う。白砂とエメラルド色の海のコントラストがすばらしく,星砂もみられる大金久海岸・百合浜,歴史性のある赤崎海岸,エメラルドグリーンに輝き最も美しいといわれる茶花海岸など海岸部の大部分が奄美群島国定公園に属し,赤崎,古里ミナタ地先の海域155haは与論島海中公園地区となっている。島内には小学校3・中学校1・高等学校1がある。本島には,すでに本土では消え去ったパ行音の言語が多く残っており,音韻学的にも貴重な島である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239514