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安謝川
【あじゃがわ】


沖縄本島中部を西流して東シナ海に注ぐ河川。方言ではアジャガーという。河川延長6.0km・流域面積8.1km(^2),河口から5.5kmが2級河川の指定区間。この川の流路は沖縄本島中部と南部の境にほぼ該当し,それはまた近世以降の中頭(なかがみ)・島尻両地方の境界に当たる。那覇(なは)市首里石嶺町4丁目の首里台地北部に源を発して台地の北を南西流し,首里平良(たいら)町1~2丁目・首里末吉町1~3丁目を経て流れを北西に変え,古島・銘苅の北部を流れたのち,那覇市と浦添(うらそえ)市の境界をなして建設中の那覇港浦添埠頭に注ぐ。中流で浦添市経塚に端を発し,同市沢岻(たくし)・内間を流れる沢岻川,下流で米軍住宅地内を流れる銘苅川などの支流を合わせる。上流域は島尻層群(クチャ)からなるため,乾季には水無川となる。中流域には琉球石灰岩の丘陵が広がるためカルスト河川の性格を有し,河道は渓谷をなす。内間付近以西の下流域には沖積地が発達する。下流は感潮河川で,河口には低潮時に泥質の干潟が現われる。安謝川中流には万暦25年(1597)に浦添と首里を結ぶ石橋の太平橋が架橋されていたが,第2次大戦で破壊された。現在のコンクリート橋は昭和41年の架設。そのほかにも昭和橋・なかの橋・前の橋・安謝橋などが架設されている。上流域には戦前まで水田が広がっていたが,昭和35年頃からサトウキビ畑に変わり,さらに現在では那覇市の急激な都市化の進行に伴い,住宅が立ち並び,市街地を形成している。農業も野菜栽培などの近郊農業へと変化し,養鶏が行われるようになった。中流域の低地もかつては水田が広がりタクシターブックヮ(沢岻田圃)と呼ばれた。昭和35年頃からはサトウキビ畑にかわり,さらに現在では造成が進み,ほとんどが宅地化している。下流部一帯の沖積低地は早くから埋立工事が進められていた。現在は食料品やセメント工場などが多い。河口は「由来記」のアジャンナトゥ(安謝港)であるが,水深が浅く,あまり良港ではなかったようである。沖縄の和文学者平敷屋朝敏の処刑地として有名。流水量は年平均毎秒0.19m(^3)と少なく,安定的な水利用も難しいため,水利施設はほとんどない。しかしかつて中流域の首里の末吉町には水車を利用したサーターヤー(製糖小屋)があり,砂糖を作っていたという。現在河川の流域は中流の渓谷を除いてほとんど護岸などの改修工事が進められている。首里末吉町には現在那覇市が整備を進めている末吉公園がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239645