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新城島
【あらぐすくじま】


石垣島の南西23~28kmの海上に浮かぶ島。八重山諸島のうち。方言ではパナリィ・パナリという。北側のカンジ(上地)島と南側のシムジ(下地)島の2つの島からなり,字新城(あらしろ)を構成する。パナリとはこの2島が離れていることを表現する名前であるという(南島風土記)。「李朝実録」にはパナリの音をもって勃乃伊島・捕刺伊是麽と記され,「指南広義」には阿喇姑斯古と記録されている。ゴーヴィルは「琉球覚書」の中でこの島をオラクスク(Ola-kou-se-kou)と呼び,別称を「ville nouvelle」(新しい町の意)と記している。またベルチャーの「サマラン号の航海記」ではアラクシク(Arakusiku)またはアタラシクシロ(Atarashiku shiro)と見える。新城の名称は下地島にあった集落アラウスク村に由来する(八重山民謡誌)。両島とも低平な隆起サンゴ礁からなり,上地島は面積1.76km(^2)・周囲6.22km,下地島は面積1.55km(^2)・周囲4.83km。両島の間は420mほど離れているが,この間の海域は流れが速い。ともに東海岸は岩がちで,西側は砂丘が発達している。島内は至る所にサンゴ石灰岩が露出している。近世に人頭税が課せられていた時代には,西表(いりおもて)島に通耕して稲作を行い,方言でザンと呼ばれるジュゴンを首里王府に上納した。現在でも上地島にはかつてジュゴンの大漁を祈願したという人魚神社がある。古拙な土器であるパナリ焼はこの島で咸豊年間(1851~61)まで作られており,八重山地方全体で使われた。昭和13年に下地島から,また上地島からは同16年に西表島への移住が行われ,島の人口は激減した。下地島は同38年に無人島になったが,現在は肉牛の放牧が行われているほか宿泊施設もある。上地島の小学校は過疎のため昭和50年に廃校となった。両島とも生活用水は西表島からの海底送水で確保されている。なお両島には民俗行事のアカマタ・クロマタが伝わっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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