100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

伊計島
【いけいじま】


沖縄本島中部東海岸,勝連(かつれん)半島の北東海上約10kmにある島。与那城町に属し,1島1字を構成する。方言ではイチといい,イチハナリとも通称する。「南島風土記」はイチを極遠の意味と解釈しているが,「いけいけし(生々し)」の「いけ」に近い語であろうか。「ペリー訪問記」ではイチェイ島(Ichey Island)と見える。面積1,81km(^2)・周囲7.49km・最高標高49mで,琉球石灰岩からなる。南西部に突き出た伊計城のある独立丘陵を除けば,標高25m前後の平坦な島である。「おもろさうし」には伊計島に関するオモロは3首あり,巻9-24,No.499に次のように謡われている。一いけのもりくすく(伊計の杜くすく) きやよせはきあかりや(きや寄せ接ぎ上がりは) なみ おそう はやみおうね(波襲う,早み御船)又ちやくにもりくすく(大国杜くすく)又こたらわかさいく(小太郎若細工)「いけのもりくすく」は「由来記」に城内之イベと記される拝所で,現在の伊計城であろう。「きやよせ」は霊力を寄せるの意,「はきあかり」は接いで作ったものの意で船のこと。「おそう」はおおうで,ここではうねりを見計らって波を上手に乗り切ること。大意は伊計の杜ぐすくで小太郎という若い細工人が造った船は,見事に波を切って進む船であると賞賛する。おそらく舟降ろし(進水式)の儀式のオモロであろう。集落は島の南部にあり,伊計城東側の伊計港の浜ではかつて造船が行われた。北側の浜をイビヌクシ(イビの後)と呼び,祭祀が行われたが,現在は海水浴場伊計ビーチとなっている。昭和54年からほぼ全島で圃場整備を進めている。同57年には南西の宮城(みやぎ)島との間に伊計大橋が完成し,宮城島から桃原橋―平安座(へんざ)島―平安座海中道路を経て勝連半島と連絡した。人口は昭和30年の985人が漸減し,同55年には305人となったが同57年には409人に復しいる。知念半島から久高島(知念村),津堅島,浜比嘉島を経て連なるサンゴ礁の北端で,中城(なかぐすく)湾・金武(きん)湾沿岸の自然堤防の役割を果たす。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239746