100辞書・辞典一括検索

JLogos

31

池間島
【いけまじま】


宮古島北端西平安名(にしへんな)岬の北方,1.3kmにある島。宮古諸島の1島。「中山伝信録」「琉球国志略」「琉球入学見聞録」には伊奇麻・伊喜間,「指南広義」には伊計間・伊奇麻と見える。ベルチャーの「サマラン号の航海記」にはイキマ(Ykimah),バーニーの海図ではクルマ(Koruma)と見える。ブロートンの「北太平洋探検航海記」,「サマラン号の航海記」所載の海図では仲之御嶽島(竹富町)にハンモック島(Hummock Island)と記されているが,「北太平洋探検航海記」の記事から見てハンモック島は池間島のことと思われる。「ペリー訪問記」でもハンモック島(Hummock Island)と見える。なお,ゴーヴィルの「琉球覚書」とバーニーの海図では宮古島の東南にイキマ(Ykima)と見える。これは,池間島が太平山(宮古島)の東南にあるという「中山伝信録」の記事を,ゴーヴィルが参考にしたものをバーニーが踏襲したものと思われる。面積2.77km(^2)・周囲9.03kmの馬蹄形の島。大部分は琉球石灰岩からなり,土壌は島尻マージである。平良(ひらら)市池間・前里の2字からなり,各集落は島の南端に立地。南部の入江に県管理第4種漁港の池間漁港があり,平良港との間に1日1便,狩俣漁港との間に1日7便の定期船が運航している。島の東南部と宮古島世渡崎の間に,昭和63年完成を目指して池間大橋の工事が行われている。産業は農業と漁業で,明治39年頃鰹節加工技術が導入され,県下でも代表的な漁村として発達した。農業はサトウキビを主とし,ほかにサツマイモを栽培する。人口密度が高く,生産力が低いので,王府時代には1,000人を超えると村の統治が困難であるという理由で,伊良部(いらぶ)島に3回,明治7年には宮古島北部の西原に分村移住させられた。南西部の大主御嶽は島民の尊崇が篤い。祭神は,卵から生まれたという12人の神の1人,「おらせりくためなふの真主」で,宮古中の人命を司るとされている。大主御嶽は,古謡「機織りのアーグ」に「おはるジ」と謡われる(アーグ21/歌謡大成Ⅲ)。航海安全の神その他を祀るスムラ嶽は,「世乞いのアーグ」「大皿のアーグ」に「シむらだき」,「ユークイアーグ」に「すむらにー」と謡われる(アーグ6・7・115/同前)。そのほか仕事の神が座す「じゃらがんみ(皿の嶺)」,豊年をもたらす神大世主イラユ主を祀り,世乞いの神事に祈願する「ういらうふむイ(阿旦嶺の大杜)」などがある(アーグ6・7/同前)。池間島のミャーグヅツとして県の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選定されている祭祀が,旧暦8月から9月の甲午の日から3日間行われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239760