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伊良部島
【いらぶじま】


宮古島の北西4kmに位置する島。宮古諸島の1島。方言ではイラウズマという。伊羅夫是麽・伊羅波島(李朝実録成宗10年条)とも書く。また18~19世紀に沖縄を訪れた外国人の記録によると,ブロートンおよびバーニーはエラブ(Eraboo),ベルチャーはイディアブ(Idiabu),ペリーはエラブ島(Erabou Island)と記している。ゴーヴィルの「琉球覚書」に見えるイレアンパ(Yleang-pa)も伊良部島のことか。下地(しもじ)島とともに伊良部町を構成。北西~南東方向に長軸(8.5km)を有し,最大幅5kmの楕円状の島で,面積は30.48km(^2)。幅30~100m,長さ3.3kmの水路を隔てた南西側に下地島が隣接する。島全体が第四紀更新世の琉球石灰岩(最大層厚70m以上)からなる。北東海岸は,ほぼ北西~南東方向に高さ10~70m程の断層崖がある。東南部にある牧山(88.8m)を最高に,全体的に北東側から南西方向に緩やかに傾斜する。隆起サンゴ礁の平坦な台地状の島。多孔質な石灰岩のため,河川の発達は見られない。保水力の弱い石灰岩の風化土壌(島尻マージ)が薄く覆う。海岸線は,下地島との間の水路部分を除いて全体的に単調。北端の白鳥(しらとり)崎から下地島北端の西海岸にかけて,長さ6.3kmのサンゴ礁(白鳥干瀬)が弧状に発達し,サンゴ礁内には,乾隆36年(1771)の明和の大津波による多数の石灰岩塊が散在する(伊良部村史)。島の北東側の崖周辺には,テンノウメやオキナワシャリンバイ(モクコクモドキ)などの風衝植物群落が,内陸部にはアダンやリュウキュウマツが,水路沿いの浅い砂泥質の海岸にはヒルギ類を中心としたマングローブが分布する。国仲集落の東方にある国仲御嶽の植物群落は,ガジュマルやビロウなどの高・低木約60種からなり,伊良部島における天然の植物相を示すといわれ,県天然記念物である(昭和49年指定)。また伊良部島は,渡り鳥サシバ(鷹の一種)の中継地でもあり,毎年10月中旬頃飛来してくる。北東海岸の中央には,近世に池間島からの移住者によって形成された佐良浜集落(池間添・前里添)がある。下地島に面する西海岸には,北西から佐和田・長浜・国仲・仲地・伊良部の各集落があり,長浜・仲地は近世に形成された集落で,ほかは古くからの集落。島の産業は,佐良浜集落では主として漁業,佐和田など西海岸の集落では主として農業が営まれている。漁業はパプア・ニューギニア海域に出漁するカツオ漁が中心で,昭和56年の漁獲量は他の魚も合わせて1,454t。また伝統的な漁法に,佐和田の遠浅の海で行われている魚垣漁がある。農業はサトウキビの栽培が中心で,毎年3万~5万tの生産量があり,昭和37年には伊良部集落の南に近代的な製糖工場ができた。近年は県外出荷用のカボチャの栽培も盛んである。同38年島内発電による送電が開始されたが,同47年宮古島からの海底ケーブルによる送電に変わった。また昭和38年には137日間の長期旱魃があり,以後深井戸の地下水を利用した上水道の整備が進められ,同47年村内全集落への給水が実現した。島内の交通には路線バス・タクシーを利用。島外との交通は,隣接する下地島~那覇(なは)間に1日1回の航空便と,佐良浜港~平良(ひらら)港(宮古島)間に1日13回,長山港~平良港間に1日1回の連絡船がある。人口は,昭和30年1万815,同45年9,132,同55年9,153。




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「角川日本地名大辞典」
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