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円鑑池
【えんかんち】


那覇(なは)市首里当蔵町1丁目にある池。首里城の北に残る円覚寺跡の西に道を隔てて位置する。縁を石で囲み,ほぼ円形に近い。面積約1,700m(^2)。「旧記」に「俗に寒小堀と曰ふ」とあるが,寒はスンガー(寒水川)のスン(清水の意)である。弘治15年(1502)に尚真王がこの池を掘り,池中に中島(10m×18m)を築いて一堂を創建した。堂内には第一尚氏王統の尚徳王が成化3年(1467)に朝鮮から請来した方冊蔵経を収蔵し,池の北岸から石造の観蓮橋を架けた(由来記・球陽尚真王26年条)。慶長14年島津の侵入で堂は破壊され空地となった。天啓元年(1621)尚豊王は円覚寺の恩叔に命じて堂宇を再建し,円覚寺方丈内の弁財天女像を堂内に移した(旧記・球陽尚豊王元年条)。以後観蓮橋は天女橋と呼ばれるようになった。康煕20年(1681)からは毎年正月・5月・9月に国王の行幸があった(由来記)。同25年に弁財天女像が壊れたため日本から新像を請来し(旧記),乾隆9年(1744)および嘉慶3年(1798)には天女橋を修復した(重修天女橋碑記)。明治2年火災で堂舎も像も焼失し(球陽尚泰王22年条),再建されたが沖縄戦で三たび破壊された。戦後,堂は昭和43年に復元され,高欄付石造単拱橋の天女橋も翌年復旧整備されて,同47年国重文に指定された。もとは首里城内の竜樋からあふれ出ていた清水が城壁下をくぐり,ハンタン山からこの池に注いだほか,円覚寺山林の水も暗渠をくぐってこの池に注いでいた。円鑑池の水は池の西岸,竜淵橋の下を流れて隣接する竜潭に入る。しかし,沖縄戦後は円覚寺背後の水源地が宅地化したため水量が減っている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240002