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奥武島
【おうじま】


沖縄本島北部,名護市真喜屋の北方約120mの海上に浮かぶ島。方言でもオウジマという。面積0.28km(^2)・周囲2.49km。北西の屋我地島とともに羽地内海と東シナ海を隔てる。琉球石灰岩の分布も見られ,土壌はマージである。耕地もあるが多くは墓地として利用されている無人島である。北側の海食崖のいたるところに新旧様々の形の墓が見られ,海辺の砂礫にも人名を墨書した厨子甕の破片が混じる。東部の海食崖の中腹には横穴に木槨を組んだ近世以前の古墓が点在し,板門形式のものもあったが,最近の暴風で破壊された。3個の墓門をもったミイドゥルと呼ばれる巨大な掘取墓は,真喜屋・稲嶺・仲尾次の人々の模合墓であった。南にある岩礁オウガマには亀甲墓があり,水際にいわゆるシルヒラシ用の四角い掘込みが並んでいる。奥武島の羽地内海側は海食崖はなく,丘のすそに掘り込んだ墓が続く。しかし,特に第2次大戦後,島の内陸に掘取墓あるいは家形の墓が無数に並ぶようになった。これらはほとんどが門中ないしは個々の家の墓である。戦前は島には畑もなく,橋もなく,ただ船頭がいて墓参者を渡していただけである。旧正月のジュウルクニチ(十六日)の墓参は戦後まで盛んに行われ,ミイジュウルクニチ(前年に亡くなった人の初の十六日)には夜の明けぬうちに墓参するのを例とした。「オウに行く」とは死を意味し,普段この島を話題にすることは禁忌であった。真喜屋とはわずか120mを隔てるのみで,干潮時には歩いて渡れる。北の屋我地島とは約300mの距離があり,かつては舟で往来していた。奥武島は屋我地島東部と沖縄本島を結ぶ交通の要所であった。現在では本島間に奥武橋,屋我地島間に屋我地大橋が架けられ,県道110号が本島と両島を結んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240008