100辞書・辞典一括検索

JLogos

20

おきなわ
【おきなわ】


「おもろさうし」に見える地名。伊波普猷によると,「おもろさうし」に10例ほど現われているが,そのうち,巻3-9,No.96,巻6-10,No.300,巻8-36,No.428,巻11-31,No.586,巻11-68,No.623,巻21-80,No.1473,巻21-88,No.1481の7つは沖縄本島,巻13-230,No.975は首里を中心にした沖縄本島中部地方,巻7-29,No.373,巻10-36,No.546の2つは那覇(なは)港の入口の漁場の称呼と解釈している。三山鼎立の頃までは中山の俗称であったのが,三山統一後に「三しま」すなわち三山の汎称になったと推定している(伊波普猷全集4)。なお,その語源について,伊波は「おき(沖)」+「な(魚)」+「は(場)」とする(同前)。東恩納寛惇は「おき(沖・遠)」+「なは(場・所)」とする(南島風土記)。比定地,時代変遷,語源にわたって,まだ定説がない。沖縄本島全体を指す例では,巻3-9,No.96の一部に,又あまみやから おきなわ(あまみやから沖縄まで) たけてゝは おもはな(岳とは思わずに)又しねりやから みしま(しねりやから御島) もりてゝは おもはな(森とは思わずに)とある。長いオモロで,未詳語が多く主語も不明なため難解だが,全体を推し測ってみると,高慢な大和の兵士に和を乞うことなく,軍勢を起こし,霊を降ろして戦うことを謡ったオモロであろうか。ここでは「みしま」と対語であり,アマミヤ(南島の高天原)から沖縄まで,と謡われている。本島中部地方を指すとされる。巻13-230,No.975には次のように謡われている。一きこゑあけしのか(有名なあけしのが) あけもとろ やもとろ(明けもどろ〈舟〉,やもどろ〈舟〉の) とも わきやけ おきなわに つかい(艫を湧き上げ,沖縄に出向き)又とよむあけしのか(名高いあけしのが)又あさとれか しよれは(朝なぎになると)又ようとれか しよれは(夕なぎになると)又いたきよらは おしうけて(板清ら〈舟〉を押し浮かべて)又たなきよらは おしうけて(棚清ら〈舟〉を押し浮かべて)又ふなこ ゑらて のせわちへ(舟子を選んで乗せて)又てかち ゑらて のせわちへ(手楫〈楫を取る者〉を選んで乗せて)名高い神女の「あけしの」が「おきなわ」に出向いたさまを謡ったオモロである。伊波普猷は巻14-46,No.1027で「あけしののろ」が「せりかくののろ」の対句になっている例を挙げ,このオモロに出てくる「あけしののろ」も今帰仁(なきじん)村勢理客(せりきやく)のノロとし,彼女が沖縄本島の中央部,中山王国に出向く時のオモロとした。また那覇港内を指すと考えられるものに,巻7-29,No.373がある。一しよりもりくすく ゑ(首里杜城,ゑ) おきなわの いよわ(おきなわの魚は) あちおそいに みおやせ(按司襲いに奉れ)又またまもりくすく(真玉杜城)「ゑ」は感動詞,あるいは,はやし言葉。「いよ」は魚。大意は,首里杜城よ(かしこし),おきなわの魚は国王様に捧げよ,となる。伊波普猷は,このオモロの「おきなわ」は巻10-36,No.546,巻13-53,No.798,巻7-28,No.372などのオモロから推して,那覇港内にあったとする。さらに「由来記」などを援用して,沖道の中ほどのマガヤー,および三重城辺りのイノー(礁池)漁場のことであると結論づけている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240104