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沖縄島
【おきなわじま】


沖縄諸島の中央部に位置する島。沖縄諸島の主島であるため,沖縄本島あるいは単に本島とも通称される。面積1,188.40km(^2)・周囲477.86km。北端の辺戸(へど)岬(北緯26°52′・東経128°16′)から南西端の荒崎(北緯26°04′40″・東経127°40′)まで約130kmであるのに対し,幅は平均10kmと細長く,琉球列島の列島軸に沿う。島名の語源については定説はないが,初見は淡海三船が選述した「唐大和上東征伝」に見える阿児奈波島とされており,天宝12年(753)に唐僧鑑真の一行がこの島に漂着した。自然地理学上からは石川地峡(石川市石川~恩納(おんな)村仲泊)を境にして北部と中部に区分され,那覇(なは)市街の国場川から与那原(よなばる)町にのびる低地を境に,中部と南部に区分される。北部は国頭(くにがみ),中部は中頭(なかがみ),南部は島尻という古来の呼称ともほぼ整合する。北部は山原(やんばる)とも俗称される。北東から南西に細長くのびる島の形状は,主に断層などの地質構造帯に関連して形成されたものである。また本部(もとぶ)半島・勝連(かつれん)半島と名護・大浦・金武(きん)・中城(なかぐすく)などの湾入,および島軸に直交する各所の地塊や急崖は島軸を切る方向の断層群によって生じたもので,島の概形はこのような島弧の形成に伴う種々の地殻変動の結果によるものと考えられる。地形・地質の特性は,北部と中部・南部で大きな差異がある。北部は山原と呼ばれるように,山地とそれを取り巻く高い段丘群からなる,いわゆる高島型の地形であるのに対し,中部・南部は隆起サンゴ礁に由来する石灰岩台地・段丘と波浪状の低い小起伏丘陵からなる低島型の地形である。琉球列島を構成する島は,基本的に高島と低島に大別されるが,沖縄島はその両者がほぼ石川地峡で接合した島としてとらえられる。そのため地質も北部では古生代・中生代から古第三紀にわたる堆積岩・変成岩類で大半が構成されるのに対し,中部・南部では新第三紀島尻層群の砂岩・泥岩の基盤と第四紀琉球石灰岩がそれを覆う地域とからなり,地形と対応して明瞭な相違を示す。さらにこの地質条件のため,北部の土壌は赤黄色土で国頭マージと呼ばれる。一方,中部・南部は島尻層群に由来する未熟土壌で,泥岩はジャーガル,砂岩はウジマと呼ばれ,さらに琉球石灰岩に由来する暗赤色土壌は島尻マージと呼ばれる。国頭マージは酸性土壌であるが,ジャーガル・島尻マージは弱アルカリ性ないしは中性の土壌であるため,植生や農作物などにも北部と中部・南部で差異が認められている。地形・地質に関連して水文条件も,北部では河川主体であるのに対し,中部・南部では石灰岩地帯(カルスト地形)であるため湧水や地下水中心の水利用となり,川が少なく,集落の立地や土地利用に対して影響を与えてきた。しかし福地ダムをはじめ新川・安波(あは)・普久川(ふんがわ)など北部のダム群建設によって,近年では島のほぼすべての水源は北部に依存している。沖縄島の最高峰与那覇(よなは)岳(県下では第2位)の標高は498.0mであり,400m級の低山が脊梁山地として北の辺戸岳から南は石川岳まで連なり,国頭山地をなす。本部半島は名護地溝帯によって国頭山地から離され,古生代石灰岩からなる八重岳(453.3m)の山塊とその北に乙羽岳(275.4m)の山塊をもつ。中部・南部にも与座岳(168.4m)・弁ケ嶽(165.7m)・運玉森(158.1m)などの名称をもつ孤立峰が散在するが,これらは琉球石灰岩・砂岩の残丘群からなるもので,山地ではない。与那覇岳の天然保護区域をはじめ国頭山地にはイタジイ・タブなどの原生林が残っており,ノグチゲラ(国特別天然記念物),ヤンバルクイナ・ケナガネズミ・トゲネズミ(国天然記念物),フタオチョウ・ヤンバルテナガコガネ(県天然記念物)などの貴重な鳥獣・昆虫類が多数生息していることで名高い。一方の中部・南部は第2次大戦の戦火を受けたのち,広大な米軍基地建設や都市開発などで,御嶽などの森以外に緑の自然はほとんど失われてしまった。沖縄島は県都の那覇市を含め8市10町15村からなり,その全人口は昭和57年3月現在で100万2,634人を数え,県人口の87.9%を占めている。なおこの人口には屋我地島(名護市),平安座(へんざ)島・宮城島(与那城町)などの架橋された周辺離島も含んでいる。県の行政・経済活動は那覇市を中心に島の中部・南部圏に広がり,中部・南部だけでも昭和55年10月には85万3,556人の人口を数える。サトウキビ・野菜の栽培と養豚をはじめとする畜産の農林畜産業と,建設業などの第2次産業の比率が低く,サービス業を中心とした第3次産業が大半を占める。この偏った産業構造は,昭和47年の復帰前の基地経済から復帰後の公共投資主導の財政に依存するためである。また昭和50年の沖縄国際海洋博覧会開催以降,施設の整備も整って観光産業の進展がめざましい。北部の沖縄海岸国定公園や南部の沖縄戦跡国定公園などの観光地には夏の海水浴,春秋のハネムーン・団体客,また台湾からの買物ツアーなど,年間を通じて観光客が絶えず,年間入域客は200万人余りに達するほどになってきた。なお,今でも,中部には嘉手納(かでな)基地をはじめキャンプ瑞慶覧など,北部には北部演習場,キャンプ・ハンセンなどがあり,復帰前より若干減少したが,昭和58年現在,沖縄島の面積の20.45%を自衛隊基地・米軍軍用地が占めている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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