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嘉手志川
【かでしがー】


沖縄本島南部,糸満(いとまん)市大里にある井泉。カタリガー・ウフガーともいう。大里集落の北端,南山(なんざん)城跡の東に位置し,古くから水量豊富なことで知られる。表層の琉球石灰岩を浸透した地下水が,基盤岩の不透水性の島尻層上を伏流し,地表に湧出する。ここは高嶺と呼ばれるように糸満市内で最も標高が高く,広大な石灰岩台地が水源を涵養している。昔,大旱魃の時,山奥から犬が濡れて出てきたのを頼りに発見したという伝説がある。泉を発見して人々が,「かでし,かでし(めでたいという意)」と叫んだことにちなんで名付けられたという(球陽尚巴志王8年条)。このように水が乏しかった沖縄には,伝説のある泉が各地にあって,これらの泉を語井(カタリガー)という。嘉手志川があるこの地域はミジグニ(水の国)と呼ばれ,南山時代の中心地であった。南山王最後の他魯毎が佐敷小按司(のちの中山王尚巴志)の金屏風を懇望し,ついに嘉手志川と交換したことから人心が離反し,宣徳4年(1429)尚巴志に亡ぼされたという(同前)。嘉手志川を謡ったオモロは「おもろさうし」に1首見える(巻20-43,No.1373)。一あかのこか(阿嘉の子が) ねはのこか(饒波の子が) ももちやらのふれおもひてた(多くの按司に敬愛されている按司様)又大さとは さとからる(大里は村からぞ)又かてしかわ みつからる(嘉手志川の水からぞ)「あかのこ」は阿嘉のお祝付き(あかのおゑつき)というオモロ歌唱の名人の名で,「ねはのこ」はその対語。これは多くの按司たちが思慕する按司様のいます大里は,嘉手志川の水こそ国の元であるという意で,オモロ歌唱の名人阿嘉のお祝付きが大里を訪れ,里を領有する按司と大里を豊かならしめる泉とを讃美したオモロである。嘉手志川が発見されたのち,南山城の北西にあった屋古村・大仲渠村などが嘉手志川の近くに移動してきた(古層の村)。「由来記」には神名シラカネノ御イベとあり,大里村(屋古村)の拝所の1つ。「中山伝信録」には「山南王の故城にして大里城と名く。城下に恵泉あり」と見え,「琉球国志略」には徐葆光の恵泉詩「勺水無興廃 冷冷傍故城 猶堪資谷汲 只守在山清 石罅通泉脈 松間作溜声 夕陂還歇馬 一掬漱余醒」が見える。下流域に昭和5年灌漑施設が造られ,水田を潤し,戦前・戦後を通じ南部の米どころとして知られていた。現在,水田はサトウキビ畑に変わり,泉は糸満市の水源地として利用されるようになったが,泉の背後にはガジュマルの大木が立ち,今なお人々の憩いの場として親しまれている。大正10年には柳田国男がこの泉を訪れている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240208