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金城大樋川
【かなぐすくおおひがわ】


那覇(なは)市首里金城(きんじよう)町2丁目にある湧泉。市史跡。地元ではフィージャーガーと称する。首里城の南斜面を南北に通る首里金城町石畳道(県史跡・県名勝)の中腹西側に位置する。この石畳道は首里と沖縄本島南部を結ぶ真珠道(まだまみち)と呼ばれる要路の一部で,途中,王家の別邸識名園を経由する。金城大樋川付近で四方から5筋の石畳道が合流して広場を形成しており,昔から坂道を上り下りする人馬が金城大樋川の水を飲み一息入れた。国王も識名園への途中ここで休憩し,金城大樋川の水で米茶をたてた。大見武筑登之親雲上憑武は,康煕25年(1686)薩摩で杉原紙漉法を教わり,同33年紙漉主取となった(関姓大宗家譜/那覇市史資料1‐8)。これが琉球における紙漉きの始まりといわれ(由来記),金城大樋川近くで製造されたといわれる。彼の屋敷はこの樋川の東にあった(首里古地図)。なお乾隆37年(1772)・咸豊元年(1851)の疫病流行の際には,この樋川のほか各井で僧侶が祈祷をした(球陽尚穆王21年条・尚泰王4年条)。同治2年(1863)金城大樋川と西隣の仲之川の石垣が崩れ,金城村民が私財を投じて石垣を築き直し,両井泉を修復して褒賞されている(球陽尚泰王16年条)。現在は断崖の下に湧出する水を2つの石樋に導き,樋の下に広さ約10m(^2)の半円筒形の石積み地下貯水池が設けられている。井戸の三方は高く石積みされ,特に背後の崖は4段に分けて堅固に積み上げてある。しかし水源地と思われる首里城内および周辺の山林が開発され,水量は著しく減った。昭和52年市史跡に指定された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240214