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北小島
【きたこじま】


石垣島の北北西海上約140kmにある島。尖閣(せんかく)諸島の1島。面積0.31km(^2)・周囲3.12kmの無人島。約200m南の南小島を併せて方言ではシマグヮーといい,小さい島の意である。北西から南東に約1kmの長方形をなし,最高標高は129m。南半分は南方向に緩傾斜する台地となり,北半分は円錐状の岩山が4つ屹立する。海岸低地の北側と南側一部では隆起サンゴ礁が形成され,島の中央部は第三紀八重山層群の礫質砂岩からなる。喬木はなく,台地上にハママンネングサ・ハマダイコン・キヌゲメヒシバが茂り,セグロアジサシやオオアジサシが大群をなし繁殖している。北側の岩山はカツオドリが生息している。南小島にもカツオドリが生息しており,両島を俗に鳥島とも呼ぶ。旧帝国海軍の日本水路誌第2巻ではピナクル(尖頭あるいは尖閣)諸嶼と記されているが,イギリス海軍水路誌支那海第4巻ではピナクル諸島(Pinnacle group)と記されたことに由来するものと思われる。尖閣諸島という名称は元来,この北小島と南小島および北小島の北東方約4kmにある沖の南岩(面積0.01km(^2)・周囲0.42km),その北西方約3.5kmにある東西に並ぶ大小2つの岩礁からなる沖の北岩(西は面積0.05km(^2)・周囲0.81km,東は面積0.02km(^2)・周囲0.58km),および西方約3.5kmの飛瀬(面積0.02km(^2)・周囲0.39km)を指すもので,魚釣島・久場島・大正島を含めた島々は尖閣列島と呼ばれていた。近年尖閣列島を尖閣諸島と呼ぶようになった。沖の北岩は王府時代には中国福州と琉球との航海の目印として重要な位置にあった。「指南広義」は黄麻嶼と記す。明治28年の政府閣議で正式に日本領土に編入され,北小島は大浜間切登野城(とのしろ)村に属し,現在は石垣市登野城2391番地である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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