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久高島
【くだかじま】


沖縄本島南部,知念半島の東方約5.5kmの太平洋上に位置する。「おもろさうし」には「くたか」「こだか」と見え,「ペリー訪問記」ではクダカ(Kudaka)ともキンダカ(Kindaka)とも見え,夏子陽の「使琉球録」および「指南広義」「中山伝信録」では姑達佳と見える。面積1.39km(^2)・周囲7.75km。知念村に属し,1島で字久高を構成。最高標高17.1mの細長い平坦な島で,琉球石灰岩からなる。玉城(たまぐすく)村仲村渠(なかんだかり)の南東端からアージ,アドキ,タマタ,コマカ,久高の5島が南西から北東へ点々と連なり,付近にはヒラ干瀬・ナカ干瀬・ウフ干瀬が続き,内海と外海との境をなす。久高島の南にある久高口(久高ヌー)は内海の中城(なかぐすく)湾から外海への出入口となっている。北部のカベール森はクバ(ビロウ)の自然林からなり,東海岸はモンパノキ・クサトベラ・ミズガンピなどの植物群落が続き,いずれも村天然記念物である。中央部の西海岸寄りも,ビロウ林からなるが,戦争で焼けてからアワダンが優占しはじめている。南端に地方港湾徳仁港があり,その南方約200mのところに岩礁エラブ岩が浮かぶ。エラブ岩はエラブウミヘビの産地として知られ,岩の窪地にホソバワダン・モクビャクコウがあり,クサトベラの群落が見られる。また久高島の北方約1.8kmのターキ干瀬に2基の岩があり,ウガン岩という。名称は,パアマグヮーと称する拝所があることによると思われる。ターキ干瀬は,イザイホーの祭りの3日目の儀礼「アリクヤー」の時に謡われる「ありくやーぬティルル」にも,聖地の1つとして見える(ティルル31/歌謡大成Ⅰ)。ターキ干瀬と津堅島との間が中城湾のウフグチ(大口)と呼ばれ,湾への艦船の出入口となっている。島民は,かつて島のことをフボー島,島民のことをフボリーと呼んでいた。久高島は琉球開闢神話でアマミキョの上陸地とされ,五穀発祥の地としても知られ,神の島とされている。島の中央部西海岸寄りにコバウノ森・中森ノ嶽があり,コバウノ森は琉球開闢神話でアマミキョが作った御嶽の1つである。またカベール森はアマミキョ降臨の地とされている。「由来記」には,2月麦のミシキョマ(麦初穂祭)の時,一年おきに国王が久高島へ行幸することが見え,それはアマミキョが天に上り五穀の種子を乞い下り,初めて麦・粟・菽・黍数種を久高島にまいたことに由来するとある。また,同書には五穀の入った壺が久高島伊敷浜に流れつき,春になってできた麦を国王に献上したことから,隔年に1度の国王行幸が始まったとも伝える。国王行幸の際に,どのような儀式が行われたかは未詳だが,王府の祭礼には,久高ノロと外間ノロが島の神女を神祭の広場(神庭)に集めて,盛大な儀礼を行ったと思われる。「おもろさうし」巻22-31,No.1538は祭祀の際の神庭での情景を謡っている。一くたかあつめなに(久高の集め庭に) くせきよらか(奇せ清らの) けおのうち(霊威の内) あらさきの やくめ(新崎の畏さ)又ほかまあつめなに(外間の集め庭に)このオモロは,題に「久高外間御殿にて御規式の御時」とあり,王府祭祀が行われる集め庭(神庭)は,奇せ清ら(奇すしく美しい)神女の司る霊威のあらたかなところだと謡っている。現在島全体では一年間に27回の祭祀行事がある。12年ごとの午年に行われる重要な祭祀行事イザイホーは,島の女性たちが山ごもりをして神女になる古代琉球の神事である。このイザイホーの祭りにおいて,第2日目の儀礼の時に謡われる「ニーブトリ神のティルル」や,第3日目の儀礼「アリクヤー」の時に謡われる「アリクヤー〈綱曳の神歌〉」「ありくやーぬティルル」の中で,ハベール森・トゥンギ森・アグル嶽・アカナ嶽などの聖地が,久高島東方の海上ニライ渡・カナイ渡から首里城,聞得大君御殿に至るまでの道程として次々と謡いこまれている(ティルル28・4・31/歌謡大成Ⅰ)。また,第3日目の最終儀礼「グキマーイ(桶廻り)」の時,ニライ・カナイの神々を送り返し,イザイホーが無事終了したことを祝って謡われる「外間殿ぐきまーいぬティルル」の中で,祭りの永続性を願って拝まれる聖地に,シュビャー嶽が見える(ティルル33/同前)。明治36年土地整理事業完了後も,島には土地共有制が残され,現在でも地割の遺構が見られる。私有地は,ノロ・根人が世襲する土地だけに認められた。エラブ岩では旧暦6~12月までエラブウミヘビの漁が行われ,薫製にされる。このような周辺のエラブウミヘビの生息場の漁業権をノロや根人,村頭がもち,漁獲物は彼らの収入源となった。島民は伝統的に海事に長じ,古くは中国への進貢船,薩摩への楷船,飛船の船頭や水夫となって活躍した。第2次大戦前は多くの漁夫たちが台湾の東海岸や奄美大島(鹿児島県)へ丸木船を組んで出漁していた。現在も漁業従事者が多い。南西端の久高漁港は昭和45年第1種漁港に指定された。また近年はニンジン・スイカの栽培が盛んになっている。昭和43年送電線の海底ケーブルが敷設されて全島が電化された。西海岸の崖下に数か所の井泉があり,かつて女たちが桶を頭にのせて水くみをしていたが,水量に乏しく,昭和53年久手堅海岸と久高島との間に海底送水管が敷設され,水不足が解消された。徳仁港と馬天港との間には新竜丸(19t)と新宝丸(5t)の定期船が1日3往復し,安座真港との間には郵便船が運航され,また知念海洋レジャーセンターからモーターボートによる渡島もできる。




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「角川日本地名大辞典」
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