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慶良間諸島
【けらましょとう】


沖縄諸島西部,沖縄本島那覇(なは)市の西方海上約30kmに位置する諸島。沖縄本島と久米島のほぼ中間に当たる。渡嘉敷島(15.64km(^2))・座間味島(6.71km(^2))・阿嘉島(3.96km(^2))・久場島(1.62km(^2))・前島(1.51km(^2))・屋嘉比島(1.31km(^2))・慶留間(げるま)島(1.22km(^2))・外地(ふかじ)島(0.8km(^2))・安室島(0.74km(^2))など大小20余の有人島や無人島からなる。中央部の慶良間海峡を境に東側は渡嘉敷村,西側は座間味村を構成する。渡嘉敷村側をメーキラマ(前慶良間),座間味村側をクシキラマ(後慶良間)と呼ぶ。「おもろさうし」に「けらま」と見える。この諸島は,琉球弧の一部が数百mも沈降してできた島々で,その深い部分が慶良間海峡となった。海峡は水深55~65mで,最深部では76mに達する。最狭部は約1.7km。海峡の北は狭く,南は広い。渡嘉敷村では,この海峡をアラファラドゥー(あちら側の海)と呼ぶが,座間味村には特定の名称がない。この諸島は那覇港から至近の距離に望まれるため,ことわざにも「灯台もと暗し」のことを,「慶良間は見えてもまつ毛は見えない」という。地質は主として中生代の千枚岩・砂岩からなり,琉球弧に普遍的な琉球石灰岩はほとんど見られない。島々は典型的な沈降海岸特有の複雑で急峻な海岸線をもつ。島々に囲まれた内湾は深く,沖縄戦時に米軍はここをまず占領して,沖縄本島上陸の準備を行った。西端に位置する久場島は小島でありながら標高270.1mで,諸島中最高である。周囲は急峻な岩石海岸を巡らし,小さな川の河口に狭い入江と海岸の低地がわずかに発達している。耕地は少なく,農耕だけに頼る生活は不可能であった。王府時代には官船の水夫として遠洋航海に活躍したが,近代には山のリュウキュウマツや広葉樹を伐採し,薪として那覇方面に運搬した。この薪は火力が強く,もちもよかったことから,ケラマタムン(慶良間薪)として,奪い合いで買い取られたという。また,漁業は特にカツオ漁が盛んで,鰹節製造が広く行われ,ケラマ節として珍重されたが,沖縄戦の壊滅的な打撃ののち衰退した。代わって近年は若者向けの行楽地として脚光を浴び,夏季を中心に海水浴客やダイバー・釣り人が訪れるようになって,観光業が盛んになりつつある。「南島風土記」に引用されている「水路誌」によれば,この諸島にはシカが多く,ハブは渡嘉敷島・阿嘉島に生息するが,座間味島・慶留間島には生息しないという。現在,座間味島でキャンプを行う者が多いのもそのためと思われる。またケラマジカはニホンジカの南限といわれ,かつては各島に生息したが,鹿狩りによって絶滅に瀕した。現在は阿嘉島・慶留間島と無人島の屋嘉比島に生息しており,屋嘉比島のケラマジカは国天然記念物に指定されている。なお,この諸島および周辺の海域は島々や山,白浜,綾に輝く海などの自然に富み,沖縄海岸国定公園の一部に指定されている。旧暦9月から10月に日を選んで行われる種子取りには,ヤヘー(八重)の神が出現したという。かつては村人もその姿を拝することができたといわれるが,迷信だとする知識人の批判を被り,渡嘉敷島・座間味島では廃されてしまった。しかし信仰心の強い阿嘉島では昭和6年まで神の出現があったという。島々の地名には,「シル」という言葉が多く用いられ,白・城などの字をあてるが,これは「瀬戸」の音韻変化した語で狭い海峡を指す。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240535