100辞書・辞典一括検索

JLogos

18

古宇利島
【こうりじま】


沖縄本島北部,本部(もとぶ)半島の東北約2kmの海上に位置する島。今帰仁(なきじん)村に属し,1島で字古宇利を構成する。方言ではフィジマといい,古くは郡島・古宇理島・沖之郡島とも見える。また,「バジル・ホール探検記」ではハーバーツ島(Herberts IslandまたはHerbert's Island),「フォルカドの日記」にはクーイ(Kou¨),「ペリー訪問記」ではコウイ(Koui)と見える。面積2.95km(^2)・周囲7.88km・最高標高107.4m。ほぼ円形をなし,海面に浮かぶカメを思わせる形状を有する。海岸線には数段の海岸段丘が発達している。隆起サンゴ礁の島であるが,基層は古期石灰岩からなる。集落は島の南に本集落が形成されているほか,上原・下原などの集落がある。島の北側に灯台,南の港付近に農村環境改善サブセンターが建てられ,住民の集会や研修など多目的に利用されている。農・漁兼業の島で,主な農作物にはサトウキビ・スイカ・カボチャ・葉タバコなど,海産物にはアジ類・ベラ・ウニ・モズクなどがある。今帰仁村運天の運天港との間に1日5往復の連絡船が運行し,所要時間は約15分。嘉慶21年(1816)に来琉したバジル・ホールは,その海図に古宇利島のことをハーバーツ島と記しているが,この呼称は嘉慶2年に最初に来琉した英国船プロビデンス号船長ウィリアム・ブロートンが命名したところによるものと思われる。「フォルカドの日記」によれば,道光24年(1844)にフランス艦隊に便乗して来琉し,約2年を過ごしたパリ外国宣教会のフォルカドは,運天港を訪れた際,古宇利島をハーバート島と称しているが,また古宇利島の原名をクーイとも記している。古宇利島については,ごく小さな島で同名の村が1村あり,耕地も若干開かれているが,大部分は岩礁か原生林と思われるほどの密生した叢林であるとしており,また農夫の子供と話をしたが,役人の姿が見えた途端,子供は走り去ってしまったと書いている。島内には蔡温の元文検地の時に測量の起点として使われたハル(原)石が2個現存する。その1つに「あらさき原」とあり,現在この原名はないが島の北側に荒崎の地名がある。もう1つには「いれ原」とあり「西原」とみられる。この原石は,直径150~170cmの円形の石を積んだ印部土手の上に立っており,印部土手と原石を知るうえで貴重なものである。またこの印部土手は現在の「立ち原」にあることから,元文検地以後に原名の区画に変動があったことが知られる。島にはプトゥキヌメーヌ御嶽・マーハグチ・ハマンシー・マチジヌ御嶽・ソーヌ御嶽(ソーバイ)・トゥンガヌ御嶽および中森(なかむい)御嶽の7つの御嶽があり,これらはナナムイ・ナナタキ(七森・七嶽)と呼ばれる。このうちマーハグチ・ハマンシー・プトゥキヌメーヌ御嶽は,古宇利島を沖縄における人類発祥地であるとする神話伝説にかかわりがある。マーハグチの御嶽には2個の頭蓋骨があり,毎年旧暦の1・4・7・10月の吉日を選んで2人の神職がこれを祀る(国頭郡志)。中森・マチジヌの各御嶽にも骨が祀られている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240552