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白瀬川
【しらせがわ】


久米島中央部を流れる河川。仲里村宇江城(うえぐすく)岳の南に源を発し,具志川村の東部の山間を南流し,兼城(かねぐすく)と嘉手苅(かでかる)の境界付近で兼城港に注ぐ。河川延長5.2km・流域面積6.91km(^2)で,久米島最大の川。中流付近は方言でシラシガーラといい,河口は川幅の広い入江をなしウフンナトゥ(大港)という。河口付近の両岸には石灰岩堤が発達している。上流に,白瀬1号ダム・白瀬2号ダムがあり,1号ダムは集水面積169ha・有効貯水量33万7,700m(^3)で農業用水に,2号ダムは集水面積131ha・有効貯水量39万7,500m(^3)で具志川村一円の上水道に利用されている。中流付近はかつてツツジの名所として知られたが,園芸用に乱獲され,現在はほとんど見られない。白瀬節に,「白瀬走川に流れゆる桜すくて思里にぬきやりはけら(白瀬走川に浮び流れる桜花を,すくいあげて貫花にし,愛しい彼氏にかけてあげたい)」と謡われた(琉歌全集207)。この桜花は,ツツジを指しているのではないか,との説もある。下流の左岸は隆起サンゴ礁が切り立ち絶壁をなし,その頂上に県史跡の伊敷索(いしきなわ)城跡がある。絶壁の中腹には,岩窟を利用した古墓が多く,按司墓と伝承される墓もある。右岸の段丘崖の上には,耕地が開けている。河口西の兼城港は,帆船時代から遠く中国・安南・大和との交易の要港となり,また台風時の避難港としても重用された。昭和29年の波止場建設以後,諸施設の建設・拡張工事が継続的に進められ,同41~43年には桟橋の建設工事とそれに伴う浚渫作業が行われるなど諸施設が整い,1,000t級の船舶も接岸可能となり,久米島と那覇(なは)を結ぶ海上交通の拠点となっている。白瀬川は具志川・仲里両村を結ぶ道路の要点に当たり,昔は,入江の奥に川をせきとめるように山石が約1.5mの幅で積み上げられたウィーワタンジ(上渡路)といわれる渡渉路があり,また下方に干潮時に渡れるように平石が点々と置かれ,シチャワタンジ(下渡路)といわれた。昭和7年に島内を一周する道が県道に編入されて道幅を拡張するにあたり,石橋を架け,車の通行も可能になった。第2次大戦後,自動車の往来が激しくなり,道幅も狭く事故の危険が大きいため,復帰記念事業の一環として道路の大幅な拡張工事に伴い,河口近くに新たに架橋され,昭和58年2月に開通した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240797