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底地ビーチ
【すくじびーち】


石垣島の北西部,石垣市川平(かびら)集落の西海岸に位置する海浜。方言ではスクジパマという。近年,第2次大戦後の米軍ビーチになぞらえて,他の海水浴場と同様にビーチと称している。「八重山嶋由来記」には底瀬浦と見える(竹原家文書)。北西端の川平石崎と,南側のアザナ崎に囲まれた半月形をした底地湾の湾奥南部に位置する砂浜海岸で,南北約1.2kmの弧を描く。海底は遠浅で,干潮時には幅約200mが干潟となる。波静かな石垣島内最良の海水浴場で,市民や観光客の行楽地であり,近年多くの観光施設が造られている。南側のアザナ崎は第三紀始新世の野底層の凝灰岩の上に第四紀洪積世の琉球石灰岩が不整合に重なっている。アザナ崎の北端に,15世紀末の川平の仲間村の雄,仲間満慶山英極が自然洞を利用して居城としたヤドゥピキヤー(戸を引く家の意)がある。英極が大浜村のオヤケ・アカハチに謀殺されたのち,ヤドゥピキヤーに遺骨が葬られた。ヤドゥピキヤーでは毎年七夕祭(旧暦7月7日)に,仲間満慶山英極の子孫である憲章姓一門によって慰霊祭が行われる。底地ビーチの北側のザンドゥー原は,天啓5年(1625)の津波でザン(ジュゴン)が打ち上げられたことによりザンドゥーと名付けられたと伝える。ザンドゥー原の北側の岩窟には大和墓(屋島墓ともいう)があり,屋島・壇ノ浦の戦で敗れた平家の落武者が川平石崎に漂着し,この地で自害したと伝え,その遺骨が多数合葬されている。湾内には,タコや二枚貝類が多数生息していたが,最近はめっきり減った。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240822