100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

瀬底島
【せそこじま】


沖縄本島北部,本部(もとぶ)半島西方海上約600mに位置する島。方言ではシークジマという。「海東諸国紀」所収の琉球国之図では世々九とあり,また「ペリー訪問記」ではスコ島(Suco Island)と見える。本部町に属し,水納(みんな)島とともに字瀬底を構成。面積3.46km(^2)・周囲8km・最高標高76m。西洋梨形の隆起サンゴ礁島で,中央部に基盤古生層が露出する。島内には環状の丘が2,3個の同心円をなし,その上は樹林が残り,独特の景観を示す。段丘上にはドリーネも見られ,北部には石塔原が発達している。昭和初期には,国会議事堂の建築に石材として使用されたトラバーチンを産出した。島内には琉球松・ソテツ・アダン,集落内にはフクギ・ユス木などが生育している。井泉はなく古来天水に依存してきた。ハマジョーガー・ウンバーリガー・ケーガーなどはかつて雨水をためて飲んだ遺跡で,現在は拝所となっている。昭和39年ボーリングで地下水を掘りあて,水不足が幾分緩和された。同57年8月沖縄本島からの給水工事が竣工し,給水の困難はほぼ解消された。「海東諸国紀」所収の琉球国之図には「世世九浦 有人居」とあり,農耕可能地に恵まれ,開拓の歴史は古いと思われる。瀬底島の名称は「高究帳」にすでに見え,それ以来定着したと考えられる。古来農業を主業とし,かつてはサトウキビ・サツマイモ・麦・粟・豆類を産したが,現在はサトウキビ・スイカ・キャベツなどの換金作物に力を入れている。島の特産ムンジュル笠(麦わらを張り合わせて作ったスゲ笠風の笠)は,大量生産の各種帽子に圧倒されて現在はわずか2,3人が製作に従事しているにすぎない。文化財に旧家上間家の「善行家風」の掛軸,農神土帝君,瀬底ノロの勾玉と簪などがある。毎年旧暦7月に行われるシヌグ,5年廻りの村踊は氏神に奉納する伝統的な祭事である。また旧暦1月16日の墓参,旧暦5月15日にサンケーモー(参詣毛)の丘から祖先の故地に門中ごとにそろって遥拝するグングヮチウマチー(5月祭り)も特色ある島の行事である。島の南海岸に琉球大学熱帯海洋科学センターがある。対岸の本部町健堅小字カキバル(駆原)との間には昭和54年から瀬底大橋の建設が進められ,同60年2月に県内最長の橋として完成した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240854