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瀬長島
【せながじま】


沖縄本島南部,豊見城(とみぐすく)村瀬長の西方約600mの海上に位置する無人島。方言でもセナガジマという。また,地元の古老はアンジナと呼び,昔,瀬長島に瀬長按司が城を構えたことにより,按司のいる砂島がアンジナジマに転訛し,それがアンジナになったという(豊見城村史)。「中山伝信録」では砂嶽,組踊「手水の縁」では砂川山,仲風節では鳥鳴かん島,「南島風土記」では洲長と見える。米軍の建設した海中道路によって陸続きになっている。面積0.19km(^2)・周囲1.8kmの小島。標高約30mの台地状をなし,基盤は新第三紀島尻層の砂岩。第2次大戦後米軍により島の頂上部が削られて,もとは島の上部を覆っていた琉球石灰岩は一部分を残すのみとなっている。植生はススキ・チガヤなどのイネ科の草木性植物が大部分を占め,樹木は見られない。瀬長島は豊見城村の発祥の地といわれ(豊見城村史),また瀬長按司の居城であったといわれる瀬長城跡があり,青磁・陶器・グスク系土器が出土している。瀬長島には「由来記」で瀬長ノ嶽が見えるほか,多くの拝所があり,神の島として各地から多くの参拝者が訪れていた。「由来記」では「潮干ニハ,瀉ヨリ通ヒ,満潮ニハ,クリ舟ニテ,渡ルナリ。往古,瀬長按司居住ノ旧跡アリ。今ハ萱原小山ニナルナリ」と見え,「中山伝信録」には無人居とある。徐葆光の「遊山南記」によれば,「下の砂川は三十里あり,みな細かい砂である。潮が満ちれば川となり,水が清く澄んでいるので水石がすき透って見え,螺蛤も数えることが出来,また,馬の足を半尺許りかくす深さである。馬の性質は水に馴れており,争いて馳り,流れに飛び跳ねて水しぶきをあげ,前後互に蹴りあうので,あたかも細雨の中を行くようであった。遥かに岳の下を見れば,数頭の馬が,小きざみに歩みながら,潮を踏んで往来しているのが,海面を歩いているように見えた」という(琉球国志略)。19世紀に入ってから各地から移り住む者があり,第2次大戦前には36~37戸の半農半漁の小集落を形成し,志茂田の小字となっていた。戦後は昭和21年に那覇空軍海軍補助施設として米軍に接収され,弾薬貯蔵庫がつくられ,立入禁止になったため,住民は対岸の沖縄本島西岸に集落をつくり移動した。その際,島の拝所がまとめられ,対岸のアカサチ森に遥拝所がつくられ,現在も参拝者が絶えない。昭和52年5月に米軍から返還され,古くから沖縄八景の1つとして有名な瀬長島は現在でも瀬干狩りや釣り,遠足で訪れる人は多い。しかし,那覇空港の離着陸飛行コースの真下に当たるため爆音がひどく,跡地利用は困難な状況にある。返還後,村では跡地の平和的利用を打ち出したが,現在は島の西側を整地し野球場として利用しているだけで全体的な跡地利用計画はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240860