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多良間島
【たらまじま】


宮古島の西方約54km,宮古島と石垣島のほぼ中間にある島。宮古諸島の1島。方言ではタラマズマという。およそ北緯24°40′,東経124°42′。多良間村の主島で,字塩川・仲筋を構成。水納島の水納を加えた3集落を総称してミパラ(三原)ということから,ミパラズマ(三原島)とも呼ばれる。また大きな島という意で,ダシマ・ダキマ・ダイマ・ダーリともいう(ニーリ9・10,クイチャー11/歌謡大成Ⅲ)。「指南広義」「中山伝信録」,周煌の「琉球国志略」などでは達喇麻,「李朝実録」成宗10年条では脱羅麻島・他羅馬是麽と見え,「琉球国志略」では太良末とも見える。また,ベルチャーの「サマラン号の航海記」にはタラマ(Tarama)と見える。面積19.98km(^2)・周囲16.64kmで,東西5.8km・南北4.4kmの楕円形をなす。北部の標高34.4mを最高に大半が10~15mの低平な地形で,海岸付近には砂丘の発達も見られる。海岸には多くのポケットビーチ(小さな海浜)が発達し,島の南端には大ドウ崎がある。島全体が多孔質なサンゴ質の琉球石灰岩からなり,表面は保水力の弱い石灰岩風化土壌である島尻マージで覆われている。海岸にはテリハボクやモクマオウなどからなる保安林が設けられ,集落の南には県天然記念物(昭和49年指定)のフクギ・テリハボク・モクタチバナを主とする抱護林が連なる。島の周囲には幅250mないし1kmのサンゴ礁が発達しているが,南東部では,島の東部をほぼ南北方向に走る断層によってサンゴ礁がずれている。島で唯一の集落は北側海岸から400m程内陸にある。道路は集落から放射状に四方へのびている。農地率は31.2%で,内陸部の集落周辺に分布し,サトウキビを中心に葉タバコ・カボチャなどの栽培が行われている。集落の西南西約2kmには含蜜糖(黒糖)製糖工場がある。またヤギの多い島である。漁業は盛んではない。集落の北には前泊漁港,南東には普天間港があり,両港ともサンゴ礁を掘り込んで築港されている。前泊港は,「多良間しよんがね」に,たらままいとまい(多良間前泊)などと見え,またそこに通ずる小道の名に,まいどまりみつがま(前泊の小道)が見える(宮古島の歌105/歌謡大成Ⅲ)。また前泊港付近の浜名・津口名として,んがやばま・んがやふつの名が,「すつうぷなかのニル」「嘉手苅のニィリ」に見える(ニーリ8・15/同前)。普天間港と宮古島の平良(ひらら)港(平良市)間にフェリーが2日に1回就航。島の南側には800mの滑走路を有する多良間空港があり,那覇(なは)・宮古・石垣間に路線がある。また南西側には台風観測所があり,9本の観測用鉄塔がたっている。昭和51年国重要無形民俗文化財の指定を受けた豊年祭(八月踊)をはじめとして,島には多くの文化財がある。また神歌であるニィリなどの歌謡が豊富に伝承されており,その数約40編。ほかに「忠臣仲宗根豊見親組」という独得な組踊もある。ニィリでは,八重山から雨乞の行事をとり入れたこと,伊良部(いらぶ)島から鼓の原木をとり入れたこと,鍛冶・大工道具を携え渡来し鉄器を普及させた鍛冶神(農業神)や,島の主に任命された土原豊見親の業績が謡われている。宮古島の人たちからは,かつて多良間島への渡航は「たらまとぅ(多良間渡)」「たらまたび(多良間旅)」と呼ばれて,死出の旅と同義で恐れられていた。8km北には水納(みんな)島がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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